写真の登場

  • 写真の登場
  • 私たちの視点
  • 見えるがままを再現したい願望
  • 写真の発明
  • 絵画と写真の違い
  • 写真の再現性
  • 時間の超薄スライス
  • 一瞬を捕える写真の数式
  • 秒単位の撮影を可能にしたコロジオン湿板

写真の登場

写真の登場世界最初の市販カメラ、Giroux Daguerreotype Camera 1839。
奥行き51cm。レンズはシュバリエ製 アクロマティック F15。
銀板写真ダゲレオタイプはダゲールの発明。


パリ.ブールバール風景 ダゲール 1839 「名作で辿る世界の写真史」 重森弘庵 毎日新聞社

パリ.ブールバール風景 ダゲール 1839 「名作で辿る世界の写真史」 重森弘庵 毎日新聞社

ジゼル.フロイントはその著書写真と社会のなかで、写真技術は、一七五O年頃からの中産階級の台頭と対応した肖像画の大衆化の流れのなかから生み出されたと説明しています。
「…ちょうどその頃台頭しはじめた中産階級が、以前は貴族たちが独占していた領域にどっと押し寄せはじめ」ます。彼らの需要を満たすためにはほとんどの商品が大量に生産される必要がありました。

何世紀も貴族のみが独占していた肖像画も、ブルジョワジーの強い自己賛美の欲求によって大衆化の道をたどります。他の産業と同じくその需要の増大に応じるためにこの芸術は機械化されていき(フィジオノトレイスによるなかば機械的な制作による横顔の肖像画などを経て)、写真の登場がその最終段階にあたっていました。
フランス政府は一八三九年にダゲールとニエプスの息子イシドールから写真技術「ダゲレオタイプ」を買い取りその技術を科学アカデミーで公表しました。フロイントの説によれば、政府はあらたな支配階級の肖像画の需要に応える必要から写真技術を買い取ったということです。
彼の説は当時の社会の変化と写真というテクノロジーが関連づけられていて興味深いのですが、その視線は社会そのものを根底から押し上げ変化させる要因には届いていません。
私たちが考える変化の根底の要因は時代の時空性の高度化にあります。科学思想による時間空間の把握の高度化とその現実化が写真技術を生み社会を変化させます。
芸術家は時代の時空性の変化に全面的に向かい合い、その変化を表現として乗りこえようとします。そこで私たちがみるべきは、時代の時空性の高度化がどのような具体的な技術になって現れたか、また芸術家たちがその時代の時空性の高度化をどのようにとらえて自らの表現を展開したかです。

見えるがままを再現したい願望

17世紀, ヨハン.ツァーンによる カメラ.オブスクーラ 「写真130年史」田中雅夫 ダヴィッド社1970より

17世紀, ヨハン.ツァーンによる カメラ.オブスクーラ 「写真130年史」田中雅夫 ダヴィッド社1970より

高階秀爾氏は、プリニウスの博物誌に最初の肖像画についての逸話について述べています。
そこには、ギリシャのコリントスのある陶工の娘が夜がふけて立ち去ろうとする恋人の姿を何とか身近に止めたいという思いにかられ、灯火に照らされて壁に映る横顔を燃え残りの小枝の炭でなぞって描いた、それが肖像画のはじまりだと記されているそうです。

この逸話で興味深いのは、陶工の娘が画才を発揮して恋人の姿を描くのでなく、直接恋人の影を写し取ろうとしたことです。
その行為は絵画の歴史を超えて、写真の発明にいたる科学技術の始まりの姿でもあります。時を経て陶工の娘の影をなぞる思いつきは、暗箱に映る対象の像をなぞるという方法に進化しました。
小さな穴をあけた暗箱の壁面に外部の像が上下逆さまに映し出されることは比較的早くから知られていましたが、十三世紀頃からカメラ.オブスキュラという暗箱が研究されはじめました。
十五世紀のルネッサンス期には、レオナルド.ダ.ビンチのノートにも研究が残されています。十七世紀になるとレンズが発明され、画家たちはレンズ付きのカメラ.オブスキュラのなかに映し出される像をそのままなぞったり制作の参考にしたりするようになりました。
例えば、フェルメールの一連の作品はレンズを通して得た像の手前がわずかにピントが甘くなった状態をそのまま絵画化し、絵画の新たなリアリティとしています。カメラ.オブスキュラに映し出される像を何とかそのまま止められないものかという人々の強い思いが写真の出現につながっていきました。

N.ニエプスによる最初 の風景写真 1826 「写真130年史」田中雅夫 ダヴィッド社1970より

N.ニエプスによる最初 の風景写真 1826 「写真130年史」田中雅夫 ダヴィッド社1970より

最初に写真の撮影に成功したのはニセフォール.ニエプス(Nicephore Niepce,1765-1833)だと言われています。彼と息子のイシドールは一八二六年、白鑞(銅と亜鉛の合金)の板の上にアスファルトを使って風景の映像を定着させたのです。約六時間の露光で出来た最初の写真はヘリオグラフィーと呼ばれました。

ニエプスの研究をうけついだダゲールが、水銀と食塩水を使った現像と定着の方法を見つけたことで写真のプロセスは完成しました。彼は一八三七年にはこの方法を完成させダゲレオタイプと呼びました。

*ダゲレオタイプDaguerreotype process
ニエプスの写真発明の協力者、ルイ.ジャック.マンデ.ダゲール, Louis Jacques Man-de Daguerre(1787~1851)は、独自の写真術に成功し、1839年ダゲレオタイプとDaguerreotype process名付けて公表した。
その方法は、銅板に厚く銀メッキし、表面を朴の炭で鏡のように磨き上げる。個体のヨードを入れた箱に入れ、銀面にヨウ化銀の皮膜を作り感光膜とする。この原板をカメラで撮影の後、現像箱のふたに下向きにセットし皿に入れた水銀を下からランプであたため発生する水銀蒸気で現像する。食塩の飽和溶液で光を受けなかった部分のヨウ化銀を除去して映像を定着する。
露光時間は20ー30分(但し発明当時のレンズはF17)。
のちに、ヨウ化銀の代わりに臭化銀を使い、露光時間は1分ないし5分に短縮された。
繊細な美しい画像、但し左右逆像ができた。日本には1848年(嘉永元年)に輸入され、銀盤写真と呼ばれた。

絵画と写真の違い

目は見るべきものだけを見ていますが、レンズは向けられた対象の光学的に結ばれた像すべてを映し出します。絵画と写真の違いは、まず人の目と機械の目、レンズの違いからうまれています。
古典的な絵画の手法では、対象をじっくり観察し移ろいゆく視覚像を対象の概念的な理想像とすり合わせて、対象のあるべき図像をつくりだします。
その過程を詳しくみると、画家は対象を観察するごとに、対象の視覚像と画家の想定する対象のあるべき像(これを概念像と呼ぶことにします。)をすり合わせ、そこから抽出した要素を次々と重ね、図像を具体化していきます。そしてついには図像は現実時間を離脱する時間化度と空間化度を獲得し、永遠(の美)に肉薄した絵画空間が実現されるということになります。
今、対象 Aをとらえることを時間の系でみると、画家は、概念像の方からみれば、対象の視覚像から抽出した対象の概念像をみたす要素、視覚像の方からみれば、対象の概念的な理想像を引き付け変化させ視覚像に適合させる要素、a’t1,a’t2,a’t3…a’tn を 重ね、巧みに融和させて画像 A’ t∞ を得ようとするのです。そこには永遠に向かって濃縮された時間が流れていました。

Σa’t(1~n) → A’t∞

写真の高度な再現性

パリの大通りの風景 「自然の鉛筆」1843, Fox Talbot,(1800-77)

パリの大通りの風景 「自然の鉛筆」1843, Fox Talbot,(1800-77)

写真の第一の特徴は、その再現力の客観性が絵画に比べて高いことです。絵画の場合では、画家たちが同一の対象を同じ位置から見て写実的に描いたとして、たとえ彼らが古典派の画家であっても、生み出される画像はそれぞれ異なったものになるはずです。技量の違いはもちろんですが、そこには画家が眼に映る対象の何を見、何を見ないかという概念の作用による選別の違いが介在するからです。

一方写真の場合は、同じ条件でシャッターを切れるとするなら、その映像は誰がそのシャッターを押すかにかかわらず、機械的に高密度の再現像を手にすることができます。
紙ネガから何枚でもポジをつくれるカロタイプを完成させたフォックス.タルボットは1844年に出版した写真文集「自然の鉛筆」のなかで「パリの大通りの風景」に添えた文章で、写真について述べています。

*タルボットの紙焼きネガ.ポジ法による「カロタイプ」
ウイリアム.ヘンリー.フォックス.タルボット(1800-77)は、一八三五年に独自の紙焼きネガ.ポジ法を発明した。タルボットは、一八四〇年のダゲールの発表に驚き、自身の方法を改良し、食子酸と硝酸銀溶液に紙をつけて感光紙とし、撮影後同じ溶液につけて現像する独自の方法を完成させた。画像はやや荒いが、ダゲレオタイプと違い、何枚でも紙焼きができるのが長所である。

「….なにしろこの装置は見えるものいっさいを記録してしまうから煙突上端の煙の出口や煙突掃除人まで、ヴェルベデーレのアポロン像のように公平無私な態度で、見逃さずに詳しく描写してしまうだろうことことは疑いない。」
「建物の表面に刻まれた文字や模様が見えることがあったり、その壁におよそ唐突なポスターを発見することもある。遠くに日時計があり、そこに撮影時間が意図的にでなく記録されてしまうこともある。」
「写真の歴史」 イアン.ジェフリー 岩波書店 1987

ここには写真家が自らの意図をはるかに上回る写真の再現力を手にした戸惑いがみてとれます。しかし優れた写真家たちは、すぐさまこの高度な再現性を巧みに手なづけ高い表現力を得ていきます。

時間の超薄スライス

「五番街.冬」1892, Alfreed Stieglitz,(1864-1946)

「五番街.冬」1892, Alfreed Stieglitz,(1864-1946)

もうひとつの特徴は瞬時をきわめる時空性です。写真撮影は初期でこそ時間を要しましたが、十九世紀の半ばになると、移ろいゆく時間の超薄なスライスとでもいる、対象の一瞬を映像化することが可能になりました。一九世紀末から二〇世紀の前半にかけて活躍したアメリカの写真家スティグリッツのコメントが撮影における時間の要素の重要さを端的に物語っています。

「ハンドカメラを用いて写真を撮るためには、どんな外形の対象であれ、主題を自分で選択し、輪郭とライティングをよく研究しておくべきだ。
以上のことが決まったなら、今度は通り過ぎる人物たちを見つめ、すべてが均衡のとれた状態になる瞬間、すなわち自分の目を満足させてくれる瞬間が訪れるのを待つことだ。
何時間も辛抱強く待続けることになるのも度々である。私の作品「五番街.冬」は1892年2月22日、吹雪の中で三時間待続けた努力の結晶である。 アルフレッド.スティグリッツ

「写真の歴史」イアン.ジェフリー 岩波書店より孫引き

一瞬を捕える写真の数式

スティグリッツのコメントにみるように、写真家の選別が強く働くのは対象の時間に対してです。写真家は、対象 A の存在する空間の最ものぞましいある瞬間を選び出し、レンズを通した映像、 A’xt としてまるごと切り取ります。写真は、普段私たちが目にしながら止めようもなく過ぎ去ってしまう光景を、微分化した時間の層の一片である均質な映像空間を絵画の永遠の図像にかわるものとして定着するのです。
A’xt → A’∞
写真による一瞬の映像表現は、長時間の綿密な制作による絵画の図像表現の永遠性をしのぐリアリティをもたらしました。古典画家の長期の修行とその綿密な制作は無意味化されようとしていたのです。
Σa’t(1~n) < A’xt

秒単位の撮影を可能にしたコロジオン湿板

しかし、ダゲレオタイプによる初期の写真は、瞬時の映像というにはほど遠く、撮影するのに20分から30分もの時間がかかりました。従って初期の風景写真にはほとんど人物が写っていないのです。次第に感光剤に改良が重ねられ40年代後半には、10秒から1分の間で撮影できるようになりました。(ダゲレオタイプと同時期に発展してきたカロタイプは紙焼きができましたがまだ1分から2分の露光が必要で画像が粗いという難点がありました。)
1851年に完成されたコロジオン湿板では大幅に露光時間が短縮され、5から15秒の露光で撮影出来るようになりました。1871年にリチャード.マドックスが乾板を発明し、その後製品化されます。乾板はコロジオンのようにカメラを腐食せず簡便でしたが、当初はまだ感光感度が低く70年代はコロジオンの時代でした。ナダールやカメロンの肖像写真はコロジオン湿板によって撮られています。

*コロジオンプロセス(コロジオン湿板)
フレデリック.スコット.アーチャー(1813~1875英)が1851年 に完成した写真技法で、ダゲレオタイプの美麗さと、カロタイプのネガ.ポジ法をあわせもったものといわれた。コロジオンをひいたガラス板を、硝酸銀に浸して感光性を与えぬれているうちに撮影し、現像しなければならないが、露光は5~15秒程度で、1枚のガラス原板から紙焼きして、何枚でも同じ写真が可能であった。日本では江戸時代1850年代の後半から輸入され湿板写真といわれた。
「写真の歴史」Aaron Scharf, PARCO出版,1979より