まとめ,時空性の変遷

再び時空性とは

ここまで、写真映像の進展を近代の時間空間の認識の高まりの事例として焦点を当て、それに対する絵画表現の変遷をたどってきました。しかし、はじめに述べたように、絵画に変転を強いたのは時代の時空性そのものです。
ここで私たちは、写真という特定の領域をみることから離れ、私たち人類の歴史全体を見渡す巨視的な視点に立ってみましょう。
ここからみる時空性とは、私たちがとらえる世界の広がり方であり、自身を含む世界の見方、世界観、宇宙観と言う意味になります。
世界の事象は変わらずにあったはずですが、私たちの世界のとらえ方は、時代や社会によって激しく変化してきました。その変化をあらためて見直すことも、近代絵画、それにつながる現代芸術の理解をすすめるはずです。またそれは、私たちの現在を割り出す手だてとなるかも知れません。

古代から古典時代の時空

古代の人々は、知覚の及ぶ範囲に目をこらし、及ばぬ範囲は人々自身の体の広がり、身体感覚から世界をイメージするしかありませんでした。その世界の無限の距離に、自らの理想や恐れをこめた<神>が想定されていました。人々は、自身の身体を含む事象のかたちや役割りの類似に目をこらし、事物と自己の存在を限りなく結びつけていきます。

プトレマイオスの宇宙図。地球の周りを天体が巡る。

プトレマイオスの宇宙図。地球の周りを天体が巡る。

古代オリエント、古代ギリシャの時代では、地球は平板だという考え方が一般的でした。ミレトスのヘカタイオス(BC550-475)は、世界のかたちを円板状とみなし、まわりには大洋が流れているとしました。この構図による事物と人間の結びつきは、濃密ではあっても現実に人々が存在する場と自身のイメージに縛られた情報と、歯止めのかからない連想による恣意的でいびつな関係が支配する世界でした。この世界のとらえかたは古典時代まで続きます。


ダンテの宇宙図。 最上に天上の世界が広がる。

ダンテの宇宙図。
最上に天上の世界が広がる。

また、当然ながら、古代の宇宙観の主流は天動説でした。二世紀後半、プトレマイオス. クラウディオスは、天動説をその著書「アルマゲスト」(Almagest)に集大成します。教会からも賛同を得たプトレマイオスの天動説は、カソリックの世界観に組み込まれヨーロッパの中世から一六世紀に至るまで広く支持されました。平板な大地のまわりを天体が運行するとみる世界観は、初原の世界のイメージとして長く命脈を保ちます。
古典時代の占星術は、天体を黄道十二宮として人体の各部をそれに結びつけ、白羊宮はひたい、金牛宮は鼻を支配するという具合に宇宙と人間を重ね合わせて世界をとらえていました。


黄道十二宮の図、中央にキリスト。

黄道十二宮の図、中央にキリスト。

またダンテ. アリギエリ(1265-1321)の「神曲」(Divina commedia, 1304-22)には、世界の事物と人間の精神は深く結びつけられ、事物と精神(神)の融合する宇宙が描かれています。
古典時代においても、科学の視点は知覚の及ぶ範囲を客観化し次第に不合理な関係を排除していきます。プトレマイオスは、肉眼による観察で千個以上の天体を識別しそれらを分類したと言われています。科学の営為がそれ以上の進展をみるには、知覚の能力を拡大するための技術(テクノロジー)が必要でした。


ガリレイの望遠鏡、上16倍、下20倍、地動説の研究には自身で制作した望遠鏡が必需品だった。

ガリレイの望遠鏡、上16倍、下20倍、地動説の研究には自身で制作した望遠鏡が必需品だった。

人々は次第にテクノロジーによる道具を開発し、事象の観察の精度とそれに対する連想の精度を高めていきます。しかし、自らのいる位置を基点にし、無限の距離に<神>を置き世界のひろがりを探るという構図に変わりはありませんでした。従って、存在する事物には必ず宗教的、神話的あるいは寓意的な意味がこめられていました。

古典期の時空の集大成ルネッサンス

ウォーホル「最後の晩餐」1986. 彼はルネッサンスの神の時空の表現、ダヴィンチの「最後の晩餐」をそのまま現代のデザイン的記号に転用した。

ウォーホル「最後の晩餐」1986. 彼はルネッサンスの神の時空の表現、ダヴィンチの「最後の晩餐」をそのまま現代のデザイン的記号に転用した。

古典期の時空の科学技術と芸術の集大成がルネッサンスです。人間を基点として世界を見る方法、透視図法、遠近法は、神を中心にすえたカソリック的な世界観をリアルに表現するために使われたのです。レオナルド. ダ. ヴィンチの「最後の晩餐」は一点透視による古典時代の整序された時空をあらわしています。

バロックの時空

一五世紀には、ヨーロッパの人々は世界の海に進出し、次第に現実的な世界観をとるようになります。神を中心にすえたカソリック的な世界観、神秘的な宇宙観はゆるぎ始めます。

レンブラントの「アブラハムの燔祭」1635

レンブラントの「アブラハムの燔祭」1635,

地動説を唱えたN. コペルニクス(1473-1543)、さらに地動説を確証したG. ガレリイ(1564-1642)によってその矛盾があばかれていきます。この時期の時空は、ルネッサンスと同様に、神が中心の一点透視的な時空ですが、現実的な認識の高まりによってその基盤の揺らぎが重なります。バロック絵画の光と影がその揺らぎの表現です。光を宗教的な世界観の表象だとすれば、闇はその宗教的な世界観をも呑みこむ現実の表象です。
レンブラントの「アブラハムの燔祭」1635, を見ると、光と闇の効果は宗教的主題のドラマチックな効果を強めていますが、同時に、宗教的な主題を呑み込む現実の生々しさを感じさせます。

近代時空の登場

十七世紀の中頃、世界を等質な時間空間の広がりとし、中世の想像的迷信的な神秘に覆われた世界観を完全ににぬぐい去ったのはニュートンでした。その後の近代の時空の根幹を担ったのがニュートン力学です。ニュートン力学の世界は、時間は一定の早さで過ぎ、空間は等しい質をもって広がっていました。ニュートンがひらいた等質な時空が、その後の科学技術の発展を可能にし、近代の時空の高まりを生んだといえます。彼の見い出した近代的な時空によって、天体の運動は神秘の闇から引き出され、物質の運動として説明され、またすべての物質はその存在する場を確定されることになりました。

ラス・メニナス,318×276cm,1656.

ラス・メニナス,318×276cm,1656.

ニュートンの提出した等質な時空に呼応する、この時代の画家をあげるとすれば、ベラスケス(1599-1660)でしょう。宮廷の日常を見透かすような彼の透徹した現実感の表現は、宮廷の主題を超えその後の近代絵画の領域をすでに含みこんだ近代的な時空の広がりをもっています。
またフェルメール (1632-1675) は、科学者たちが顕微鏡や望遠鏡のレンズを通して現実の事象を探求したように、レンズを通して見い出されたリアリティを清明に表現しています。

現代の時空への展開

ニュートンの等質な時空に根底的な視点の転換を加えたのがアインシュタイン(1879ー1955)です。彼が一九〇五年に発表した相対性理論は、ニュートンの等質な時空は絶対的なものでなく、地球の重力のなかでの相対的なあり方だという視点を提出しました。

それによれば、物質とはエネルギーのひとつのあり方に過ぎず、物質の運動が光速に近づくにつれ事物の質量、時間空間のあり方が変化するのです。その運動を、私たちが存在しているニュートン的時間空間の現象としてみれば、空間や光が曲がったり時間が伸び縮みしてしまうことを意味します。アインシュタインの理論は、私たちの現実の基盤である時空を相対化してしまう、現代の新たな時空をひらきました。そこからみると、私たちがみてきた近代絵画の変遷は、現代の新たな時空に向かう近代の時空の揺らぎ、胎動の表現ととらえられます。画家たちは、科学者と言わば背中合わせに同じ時空性に対峙していました。

インターネットがせまる変化

近代の時空の高度化を語る技術を写真にみてきましたが、現在の時空を特徴づける技術として、インターネットとコンピューター. グラフィックスを取り上げてみます。

「人間社会は、いま人類史上かってないほど大きな変貌をとげようとしている。物理空間を基盤に構成された社会から、情報空間を基盤に構成される社会へ変わろうとしているのである。この変化は、森を基盤に生活していた縄文人が、畠を基盤に生活する弥生人にとって代わられたよりはるかに大きな変化になるだろう」  立花隆 「インターネット探検」1996 , 講談社

まず、立花隆氏が上のように時代への影響の大きさを語るインターネットですが、インターネット の技術の進展度合いを、映像の進化になぞらえてみると、ちょうど写真が映画に進化をとげる以前の時点にあります。クリックして画面を一つづつめくっていくやり方は、写真と映画の中間のスライドの上映といった段階です。しかし、近い将来、インターネットの技術が完全な進化を遂げたとき、ラジオ放送、テレビ放送や電話を取り込み、情報の流れを変えることは確実です。

マスメディによる情報は、一方通行で画一的であり、時間もメディアに合わせねばなりませんでした。一方、インターネットは、私たちが得たい情報を、国や地域の制約を超え、個別に選別し、のぞむ時間に、しかも瞬時に受、発信することを可能にしました。インターネット上では、情報の発信元が個人か、または大きな組織であるかによって差別されません。その意味では、インターネットは超民主的なメディアです。それは、現在の現在の世界の枠組み、国家や社会、大企業などの組織のあり方を必ずしも絶対的なものとしない、新たな世界の到来を予告しています。
インターネットがもたらす社会的変化は、マスメディアの情報の記号性を批判し主題としてきた現代芸術の領域が根拠の一角を失うことを意味しています。

映像領域を変えたCG

もう一つの現在の時空をあらわす技術は、コンピューター. グラフィックス(CG)です。私たちは日常的にCG映像にふれ、それをもはや特殊なものと思わずに楽しむようになっています。

CGを駆使したディズニーアニメ映画の特殊撮影、テレビ番組のタイトルやエンディング、強い印象を与えるCMには、必ずと言っていいほど、CG映像が使われます。また写真映像も多くの場合、コンピューター処理がなされています。
(写真はCGを駆使したディズニーアニメ、キャスパー,1995)

私たちの時代は、CGによって高度に視覚化された概念像をもつようになりました。
自在でスムーズな視点の移動とイメージの変化は、CG以外では作り出せなかったものです。
外部からは見えない生体や事物のミクロ、マクロの構造を見えるかたちに描き出すこともCGの役割です。クリアーに視覚化された概念像を提出するCGは、概念と視覚の問題を占有しようとする現代芸術に、より高次の概念化を強いていると言えます。(以上で近代の時空性については終わりです)