キュービズム空間ピカソ

The Reservoir, Horta de Ebro,1909 , Pablo Picasso ( 1881-1973

The Reservoir, Horta de Ebro,1909 , Pablo Picasso ( 1881-1973

  • 時代の時空性の進展 写真から映画へ
  • 常識とちがった現実の映像
  • 映画シネマトグラフの登場
  • 一視点からのセザンヌの空間
  • キュービズムの複合空間
  • ミニマムな概念像キューブ
  • キューブに解消一歩手前のミニマムな対象の像

時代の時空性の進展 写真から映画へ

一瞬時の映像をとらえる写真がほぼ完成すると、写真を応用して事物の動きを連続した映像としてとらえようとするさまざまな試みがなされます。時代の時空の高まりは、時間の経緯の映像化をめざし、映画を生むに至ります。
印象派以後、セザンヌからキュービズムにいたる近代絵画の変化は、時間の映像化、時間の経緯をより正確にとらえる時代の時空性の高度化に呼応して生まれました。

時間の経緯を映像化するに至った時代の時空性に対し、絵画が自らを主張するためには新たな試みに踏み出さねばなりませんでした。
セザンヌが都市を離れ、自然に回帰し新たな領域を求めたのは、テクノロジーが時間の表現をも手にしようとする時代状況に脅威を感じたからに他なりません。彼はテクノロジーの進展に揺らぐ絵画表現を再び個の感性にもとづいてたてなおそうとしました。

常識とちがった現実の映像

Eadweard Muybridge,1878

Eadweard Muybridge,1878

一八七八年、アメリカの写真家マイブリッジ, Eadweard Muybridge(1830-1904)は、競馬好きの資産家リーラン.スタンフォードの賭、馬の足は走るとき地についているかどうかを明らかにしてほしいという依頼に応え、十二台のカメラを並べ走る馬を撮影しました。
その結果、走る馬の足は確かに一瞬地を離れるのですが、瞬間瞬間の映像は人々が肉眼でとらえていた姿や絵画に流麗に描かれたかたちとはあまりにも違っていたため、発表された映像は人々を大いに驚かせました。走る馬を描くのを得意とした画家Ernest Messonier (1815-1891)はその映像と自らの画像のあまりの違いに絶望に陥ったということです。

E-J. Marey, 1882頃

E-J. Marey, 1882頃

マイブリッジの仕事に触発されたマレイ,E-J. Marey(1830-1904) は、連続して撮影できる写真銃やクロノフォトグラフと呼ばれる写真機を開発し、人物や動物の瞬時ごとの動く形態を映像化しました。それらの映像は人々がもっていた動きとはしかじかのものだとする動きの概念像を一新していきました。それは人々の時間の経緯のとらえ方、空間の概念、即ち時代の時空性をあらたな段階に押し上げていったのです。

映画シネマトグラフの登場

エジソンのキネスコープ

エジソンのキネスコープ

前述したマレイのクロノフォトグラフも映画の初期の姿と言うことができます。
初期の映画はエジソンが一八九一年に制作したキネトスコープにも見ることができます。それはわずか数秒間、のぞき穴から見える小さな映像が動くだけでした。
リュミエール兄弟の研究開発は、映像テクノロジーの発展をみるうえで、重要な位置を占めています。彼らの映像テクノロジーの研究開発はそのまま映像の発展の歴史になっています。モネの章で取り上げたように、彼らはカラー写真も開発しています。


父アントワーヌとリュミエール兄弟1882

父アントワーヌと
リュミエール兄弟1882

スクリーン上に映し出す映画を完成させたのも彼らリュミエール兄弟です。リヨンで乾板を製品化し企業として成功したリュミエール兄弟は、その後映画の開発に取り組み一八九五年動く写真、「シネマトグラフ」と呼ぶ白黒映画を完成させています。


「列車の到着」のシーン

その後彼らはさらに、カラー写真「オートクローム」を発明します。
一八九五年、リュミエール兄弟が完成させた映画は動く写真「シネマトグラフ」と名付けられました。初めて映画を見る観客は機関車がこちらに向かって迫ってくる映像に驚き大騒ぎになったそうです。彼らの映像は私たちの動きに対する概念像を更新してしまいました。画像的な時間の表現は文字どおり絵空事であることがあからさまになりました。画家たちは自らの表現を支えてきた視覚と概念の関係を放棄し再び組み立て直さねばなりませんでした。それはいままでの時間のとらえ方、概念を洗いなおし、時間の経緯を表現していくことに他なりませんでした。
「列車の到着」のシーン」1895,cinematograph by Lumiere Brothers,


一視点のセザンヌの空間

セザンヌはタッチをパルスのような経過する時間的要素としています。
彼は経過する時間をタッチの集積として絵画に導入したのです。古典絵画に理想をみる彼は、対象に向かうある時間と視点とを画面の基点に定め、その近傍に、それに続く一瞬一瞬の微細な空間の変動を集積するという方法をとりました。
ところがセザンヌのある基点の時間に集積された振動するタッチは、それぞれ自らの個々の時間を主張はじめます。「りんごが動くか!」とモデルを叱る彼は、自らの設定した時間とタッチのそれぞれが主張する時間の微動の矛盾をいかに扱うかに悩みました。
セザンヌの限界は、基点に固定した時間(それは古典的な永遠を再びあらわすはずですした)と、時間の経過をとらえた彼のタッチによって、近代の時間で満たそうとする矛盾にありました。セザンヌによって従来の固定的な一視点に言わば震動を加えられた絵画は、キュービズムによって同一画面に複数の視点、複数の時間の表現を持ちこみ、その空間の多次元化をめざしたといえます。

キュービズムの複合空間

キュービズムの絵画空間はセザンヌの空間の基点を複数化し、それぞれの瞬間の異なる視点から見た空間をモザイクのように並列に(等価に)寄せ集めることで得られます。それはなめらかな時間の移行をあらわすのではなく、画家が一瞬一瞬にとらえた空間を不連続に並べるることに他なりませんでした。

PC = (ΣA’t(1~n))×m

古典絵画からキュービズムが登場するまでは、ひとつの画面に対象の再現的な要素を重ねていくことが絵画空間をつくり出す方法でした。画家の世界観は一つの平面に連続的に集約された絵画空間としてあらわされてきました。画家が肉眼でとらえたなめららかな時間の推移はまだ疑われてはいせんでした。しかし時代の時空が高度になるにつれて、マイブリッジやマレイの連続写真に見るように、実際の時間の過ぎ方と空間の変化のしかたは人が感覚でとらえた姿とは違っていることがあきらかにされました。それとともにひとつの平面にまとめあげられた絵画の時空は、時代に対するリアリティを失っていきました。
キュービズムの登場は近代絵画がそのリアリティを失ったという認識によって生まれています。

キューブに解消一歩手前のミニマムな対象の像

セザンヌがタッチの運動性に志向させた強固な基本形態、円柱、円錐、球体は、キュービズムにおいては、よりつきつめられ(より観念化され)、基本形態は直方体に向かって収れんしていきます。
彼らの関心は時空の並列化に尽きているように思われます。並列化された空間はそれぞれ空間認識の基本とされるキューブに還元されていきますが、対象が概念的な空間に解消してしまう一歩手前で辛うじて残されるのが対象のミニマムな像です。
キュービズムの空間は近代絵画の概念的な達成であると同時に行き止まりでした。そこから歩を進めて、現代のミニマルアートのように概念的な空間自体を表現するには、近代絵画の枠組み自体を捨て去ることになるからです。
自然を基盤にすえた近代画家には、そこまで進むことは自殺行為に等しいものでした。ピカソは「自然は何ものよりも強い」と言い再び近代絵画の領域に回帰していきました。映画の登場を生んだ近代の時空の高度化に向かい合い、近代の時間のあり方そのものをテーマとした絵画表現をみるには、後のデュシャンの登場をまたねばなりませんでした。
デュシャンは、経過するそれぞれの瞬間の空間をモザイク状に並べることに陥ったキュービズムを、古典的な永遠の時間へのこだわりとみて批判しました。彼はキュービズムを近代の時間を表現する方法に転換しようと試みるのです。(この章終わり)