マネ.「草上の昼食」にみる映像化の試み

「草上の昼食」1863, 208×264.5cm, Edouard Manet(1832-1883)

「草上の昼食」1863, 208×264.5cm, Edouard Manet(1832-1883)

  • 「草上の昼食」1863
  • 藤枝氏のマネ批判
  • グリンバーグのマネ批判
    官展(サロン)にみる保守的芸術
  • マネの映像化の構造
  • クールベとの違い
  • 「鉄 道」1873
  • 古典絵画からの必然的な変化
  • 映像化の手法によるウォーホルの絵画

グランドオダリスク,1814, 91×162cm アングル(1780-1867)

グランドオダリスク,1814, 91×162cm
アングル(1780-1867)

「草上の昼食」

サロン初入選から二年後、一八六三年に発表された<草上の昼食>をみると、マネは人物描写の明部から暗部にいたる重厚で肉厚な立体描写を捨て全光での写真映像を思わせる描写を試みています。当時革新的とされた彼の表現も今日の写真をはじめとするメディア映像を見なれた私たちには自然な表現に見えてしまいますが、映像的な現実感が強く意識されていることは、例えば古典派の巨匠アングルの<グランド、オダリスク>1814と比べてみると明らかです。

理想の女性像の表現アングル

理想の女性像の表現アングル

アングルの理想化された裸体は、明部から暗部へかけて多方面から多くの柔らかな光源を浴びているかのように可能な限り滑らかに描かれています。画家は大理石のような滑らかな肌の質感の表現にもっとも力を注いでいるようです。抽象的ともいえるほど修正され理想化された形態に比べ、肌の描写の触覚的なのっぺりとした生っぽさが過剰な現実感をもっていて、それが彼の絵を女性の形態の理想化とは裏腹な世俗的な表現にしています。


現実の女性を描くマネ

現実の女性を描くマネ

一方マネの裸の女性の描写を見ると、暗部はごくわずかで全体がややオーバトーン気味に白っぽく平板に描かれています。形も理想化されずにそのままでいかにも現実の光のなかに座りこんでいる人物の映像であるかのようなリアリティを感じさせます。ここでは、アングルが試みたような人体の理想の形を追及しようという姿勢はみられず、またクールベのように映像的要素を取り入れて絵画を強化しようとする重苦しさもみえません。画家の関心は、対象をより美しく描くことや、ある意味をこめることにはもはや向かわず、意味が削られた分だけ絵が軽やかになって、言わばスナップ写真風になっています。

理想化された永遠の時間の表現を排除して、裸婦はただ裸婦としてそこにあるという事実性だけが描かれ、対象を瞬時の像としてとらえ定着しようとすることが目指されています。

藤枝氏のマネ批判

時代を画す斬新な画風をつくり出そうとする画家の営為は、従来の絵画の規範である<あるべき世界の図像化>から遠く離れ、言わば瞬時の映像の表現効果をねらう<絵画の映像化>の方向にむかっています。
多くの美術史家の指摘によれば、マネは田園、郊外での憩いを主題としたいくつかの古典画から引用してこの作品を制作しています。しかし彼が古典絵画の限界点を越えて映像化を進めた結果、彼の絵は同じ主題の古典絵画とは似ても似つかぬものになってしまいました。彼によって絵画が物語や感情表現を失い、変質したことに何人かの批評家が不満をとなえています。
藤枝晃雄氏は彼の著書「絵画論の現在」で次のように述べ、感情的な表現の欠如を嘆いています。
「..マネは神話的な作品に近づいていってそれを非神話化しているのであり、その過程においてのみロマン主義的な志向と心性を受け継いでいるが、それを極度に現世的に変容させるうちに、その心情からはるかに隔たっている。」「絵画論の現在」藤枝晃雄

「ロマン主義的な志向と心情を極度に現世的に変容させる」と藤枝氏が指摘するマネの営為が、私たちのみる絵画の映像化をさしています。マネが「神話的な作品に近づいていって非神話化する」のは、すでに彼が神話的世界を描く古典絵画がそのままでは無効になっていることを認識しており、その表現の魅力を受けつぎながら、しかも時代のあらたな表現をうむことを希求していたからにほかなりません。
彼が形骸化した神話的世界の表現から離脱を試みるのは当然であって、「その(ロマン主義の)心情からはるかに隔たっている。」という藤枝氏は自身の古典ロマン主義へのノスタルジーを語っているにすぎません。マネは近代の変化に目を閉ざしてロマン主義に徹してくれればよかった、とでも言いたいのでしょうか? 彼の見方は、この作品はロマン派でも古典派のそれでもなく、許容できる入選基準に合わないとして拒絶した、官展審査員の評価と少しも変わるところはありません。

グリンバーグのマネ批判

藤枝氏が同著で引用しているグリンバーグの批評は古典画の基準からマネの作品を批判しています。
「マネは大きさはどうであれ、一人もしくはそれ以上の人物を前景においた場合、前景から中景・後景への推移の扱いにいつも難儀した(「草上の昼食」を損ねているのは、背景の離反のせいであり、この絵は上部、両脇を切断するとよくなったであろう)」
マネがいつも人物画の空間処理に難儀していたのは、グリンバーグのアカデミックな理解を越えて、画家の関心がすでに絵画の映像化、絵画に写真映像の空間化度を取り入れ(対峙し)それをうわまわる空間化度を表現することにあったからです。マネの現状認識では、「上部、両脇を切断して絵がよくなる」方向にはもはやあらたな表現の可能性は残されていませんでした。彼の難儀は言わば絵画と映像のはざまにあったのです。グリンバーグの引用に続いて「草上の昼食」の不統合性を並べたてる 藤枝氏ですがその後「人物たち、とくに裸婦は、不安定な木樹に比べれば、ラファエロ/ライモンディ(マネの引用した古典画の作者)の神々の肉付きこそ有していないものの、わずかの陰影によって実在性を獲得している。」とマネの映像化度を上げる試みを評価する側にまわってしまいます。藤枝氏がマネの映像化度の追及を「生きた平面性」と 呼んで評価しながら、一方でそのために彼が失うべくして失った「神々のような肉付け」の不在を嘆くという批評の姿勢は論理的に「不統合」といわねばなりません。

マネの映像化の構造

「草上の昼食」 の背景の処理はたしかに古典的な描法と映像化のあいだでゆらいでいて未整理なまま残されたようにみえます。画家の映像的な瞬時への関心はそこには留まりようもなく他に移っています。一方裸婦の手前にある静物は官展派の画家たちに描写の実力を見せつけようとするかのように力わざで描かれています。その明るい前景は映像的に描かれた裸婦が突出するのを押さえています。

「草上の昼食」 部分

「草上の昼食」 部分

時間経過をあらわすかのように配置されたハイヒールや前景の静物、それと裸婦とはまったく異なった時空に属しているようにみえます。よくみると人物たちも一同に会しているものの、それぞれが自らの時空にとどまったままのようです。マネの絵画は画面の部分のそれぞれの時空をある一瞬に統合するように出来上がっています。

写真映像の特徴は、それぞれの対象がもつ固有の時空性が等質な一つの映像空間のなかに定着されることにあります。従って、絵画の映像化の度合いは、描かれた個々の対象の時空性がいかに保存され、それらがいかにある一瞬時の状態に統合されているかによってはかられます。

クールベとの違い

クールベの絵では、登場する人物、事物は作者の意図に縛られ、ふり当てられた役割のなかで何やら苦しげに硬直しているようにみえます。それは、あくまで絵画の永遠性を目指す画家によって、個々の人物、事物の異なる時空性がすべて永遠の美を目指す古典的図像Pt∞ に落としこまれ単一化されているからです。それに対して、映像化を進めたマネの絵画空間では、個々の対象はある瞬時の像 Ptx  として描き出され、それぞれの存在の差異を主張する自由度を獲得しています。
マネは映像化によって絵画のリアリティを強めていきましたが、それに従って古典絵画の中心にあった、人々に容易に理解され得る主題にまつわる感情や物語性の表出度合を減じていきました。彼の主題はそれにまつわる感情や物語性を表現するためでなく、単に対象を画面に登場させ、絵画の映像化を進めるための口実に過ぎなくなっています。それが当時の人々には絵画の冒涜と映り、彼の絵画がスキャンダルとして騒がれた原因ともなりました。
彼はその高度な映像化度の構成をベラスケスにかいま見ていたのかも知れません。ベラスケスには時代を超えた天才の達成がありました。ベラスケスの達成は古典絵画の枠組みのなかでなされましたが、マネの営為はその枠組みを打ち破ることになりました。

鉄道1873

鉄道,1872-73

鉄道,1872-73

藤枝氏がマネの「生きた平面性」の例としてふれている「鉄道」1873では、映像化度は 「草上の昼食」に比べより高度になっています。人物はそれぞれの空間に独立し異なる一瞬のなかにいます。画家はそれぞれの対象の一瞬を映像的に切取ったかのようにとらえ、絵画の一瞬に組みこんでいます。

レンズをとおした映像の特徴も意図的に使われ、鉄柵はレンズをとおして見たように周辺にいくほど幅が広がり歪んでいます。また背景の煙は、当時の写真家がその不定形の動きを映像的にとらえるのをいかにも好みそうな素材です。白煙で他のこまごました背景を消しさり人物の瞬時の姿をきわだてています。
マネには官展派を打ち負かしてその地位と名声を得たいとする強い世俗的な願望がありました。自らの力量と時代感覚、ベラスケスス、ゴヤらスペイン絵画の理解をもってすればその願望をかなえるのは難しくはないはずだ。当時の重要な流派、古典派、ロマン派、リアリズム派を凌駕し最先端にいる自分こそが絵画の権威の座につくべきだ。そんなふうにマネはかんがえていたと思われます。その彼の権威への関心が当時の前衛である印象派と距離を取った位置に彼を留める理由のひとつでした。またその世俗的な関心がとぎすまされた時、一瞬のなかに異空間を統合する、映像化度の高度な表現を可能にしてもました。

古典絵画からの必然的な変化

「かつては対象の完全な象徴性や秩序が示されるために画面が構成されていたものがいつのまにかある時間における恣意的な視点に従って画面が見られ、描かれはじめる。」
伊藤俊治 写真と絵画のアルケオロジー

伊東氏は古典期から近代への絵画の変化を上のように指摘しています。彼の指摘する変化は、私たちの見てきた絵画の映像化度の高度化、絵画の図像から映像性への転換を指しています。絵画は永遠性をめざす表現を捨て「ある時間における恣意的な視点」、つまり現実のある特定の時間での映像的な事物の見方をとるようになります。
画家が近代科学による時空の高度化全体に驚異を感じ、絵画の生き残りをかけて新たな表現をめざせば映像化度を高める方向に進むことはこの時代には不可避でした。スペインの巨匠を研究し世俗的に一世を風靡する斬新さをめざしたマネの絵画が映像化に向う必然を見ずには彼の絵は無論、近代絵画を語れません。

マネの映像化は古典を無化する

吉川節子氏は、マネの表現を「近代人固有の疎外の表現」だと意味づけています。彼女によれば、マネにたいしては二つの対立する見方があります。彼が対象にたいして無関心であり色彩と形態の美のみを追及したフォルマリストだとする見解と、一方はその作品には社会的、政治的、心理的な意味があるとするものです。彼女は、マネが近代人の疎外を描いたと考えれば両者の見解は矛盾しないと述べ、「..マネは、物質文明の裏に潜む近代人の空虚さにいち早く気付き、それを、絵画によって表現したのである。このようにして、マネは二十世紀への扉を開いたといえる。」としています。
彼女が近代人の疎外感の表現とみる要素は、マネが絵画の映像化を進めたことによって、古典絵画として負わされていた意味あいが「空虚」になっていることをさしています。映像化による指示性の高度化は、描かれる対象をかつて持たされていた物語性をはじめとする旧来の意味から解き放ち、ただ対象自体としてあらしめます。彼の表現はまさに意味が「空虚」であるが故に彼女の見解をはじめ、政治的、社会的、心理的なさまざまな意味の付与が可能なのです。マネの、絵画と映像の時空性の違いに着目した姿勢にこそ表現の現代性をみるべきです。

映像化の手法によるウォーホルの絵画

Andy Warhol ,Gun, 178×229cm,1982

Andy Warhol ,Gun, 178×229cm,1982

現代ではウォホールに同様な姿勢をみることができます。ウォホールは絵画空間に写真映像をより直接的に導入し、映像の高い指示性によって切り下げられた自己表現の要素との間に「空虚な」表現空間を生み出しています。彼の表現の生む「空虚」には批評家によって「死の表現」、「無関心のアート」、など社会的、政治的、心理的にさまざまな意味付けがなされているのは見てのとおりです。

ウォホールの場合、近代の画家のように、絵画の優位性を保つためにそれとは気付かれぬように写真の映像に接近するのでなく、むしろよりあからさまに写真映像を取り入れました。取り入れる写真は典型的、決定的ないかにも写真らしい写真であればるほどよかったのです。何故なら、守るべき絵画は彼のなかにはもはや存在せず、あったとすれば観衆のなかの守るべき古い概念としてだけあったからです。彼にすれば絵画はすでに残骸のようなものでした。彼はできるだけ高い指示性をもつ写真を直接的に登用することで、絵画と写真映像のあいだのより大きな隙間をあきらかにしました。先の吉川氏なら、現代の生み出した疎外の表現と指摘されるはずですが、ウォホールの営為は現代の時空性のなかで記号として使われる写真映像と絵画表現のそれとの差異を徹底してあからさまにしたものだとみられます。