「皿の上の絵画」ジュリアン・シュナベール

ジュリアン・シュナベール

Julian Schnebel 1951-

1977 26歳
メアリー・ブーンに見い出される。
1979 28歳
メアリー・ブーン画廊で個展。
12月2回目の個展、皿を張り付けた絵で一躍有名になる。
1984
アップ・タウンのペイス画廊と契約し、ハイブローの作家となる。
Mary Boone

Mary Boone 1951-

バイカート・ギャラリーに勤務した後、1977年からメアリー・ブーン画廊を経営する。 新表現主義の作家たちを売り出す。

皿の散乱するシュナベールの画面は、一瞬ごみ捨て場を連想させる。画面に描かれるイメージもありきたりでメディアが使い捨てたそれのように感じられる。
不要となった皿と使い捨てられたイメージが出会う画面は、これ以上逃げ場のない殺伐とした現実感に包まれている。

untitled(バーナード)1988

untitled(バーナード)

untitled(バーナード),
1988,182.9×152.4cm

シュナベールを一躍有名にしたのは、皿を埋め込んだ異様で巨大な彼の画面でした。皿の部分が飛び出した画面は、モザイクと呼ぶにはあまりにも荒々しく作られ、絵を描くカンヴァスとしてはおよそふさわしくない様子をしています。
彼の作品を特徴づけるのは、画面から突出する皿と絵画のイメージの場違いな衝突です。ここに取り上げた作品はたまたま目にした図版のなかの一枚ですが、この作品でも、肖像画にしては大きなサイズの画面からたくさんの皿の部分が突出しています。その突出は上に描かれたイメージと折り合う訳でなく、ただ自らを主張すべく突出しています。

通常、私たちが絵を見るとき、画面を絵画の空間として見ようとします。ところが、画面から突出する皿は、絵画の空間を見ようとする私たちの視線に否応なく介入してきます。皿は私たちの絵に向かう視線をさえぎり、現実の事物を見る位置に引き戻します。
彼の作品を目にしても、私たちに強く残るのは、画面に埋めこまれた皿によって視線が絵画から事物に引き戻される心理的な体験です。その体験が彼の作品の現在的な意味を物語っています。

完備された現代都市の記号のシステム

シュナベールはあるインタヴューで皿を使ったいきさつを訪ねられ、即座に次のように答えています。「絶望だね。あれは一九七八年のことで、何をしてもうまくいかなくて、僕は途方に暮れていた。」
「アート・ワーズ」ジーン・シーゲル 木下哲夫訳 1992 スカイドア

「何をしてもうまくいかない」という彼の言葉は、シュナベール個人の事情を超えた時代の状況をも指しています。それはかつて抽象表現主義が興隆した後、五〇年代のジョーンズが従来の絵画の方法で制作しようとしたとき、「ぼくが何をしても嘘っぱちにみえてしまう」と嘆いたことを思い起こさせます。 ジョーンズは、嘘っぱちの元凶を都市の記号に見い出し、その後の芸術表現を展開しました。 しかし、シュナベールが活動を始める七〇年代には、<記号のシステム>はより完備し、表現のリアリティの消滅傾向は深刻な状態に進行します。シュナベールを「絶望」に陥れた表現のリアリティの消滅は、作家の有名無名を問わず美術表現の全域に及ぶものでした。

商品そのものとして扱われるイメージの記号

現在を他の時代と隔てる特徴の一つが、大量生産方式の生産構造とマス・メディアが連動して働くことによって、両者の上部に、イメージの全域を制御するメカニズムが成立することです。それはマス・メディアや産業の意図を超え、むしろそれらの働きをリードし制御する自律した運動、働きとして存在しています。 私たちはそのシステマチックな働きを、<都市の記号のシステム>と呼んできました。
「現在、「人間的な感情」と呼ばれるものはすべてマーケティングの対象になっている。生も死も恋も、商品化され、シュミレーションのなかで浮遊している。反体制という主張さえ、もっとも魅力的な商品である。それらは新鮮な意見、マーケットを深く耕すための有用性において評価される。 そんな社会のなかで、社会的コードにからめとられないために、おそらく芸術家たちは歌への欲求を自己に厳しく抑制しなければならないのだろう」
「二〇世紀の旗手の旅」辻井喬 ジャスパー・ジョーンズ(画集) 講談社

私たちが好ましい日常生活のスタイルと「商品」を結びつけてイメージするとき、住まいはしかじかの仕様、車を買うならどの会社の何型、外食するのはどこそこがよいという具合に、デパートのウインドーショッピングでもするように分厚いイメージの価値体系を眺めていることに気づきます。 そのイメージの価値体系は私たちの日常生活をパターン化(記号化)し、そのパターン(記号)を体系化つつ(辻井氏の言い方でいえば、シュミレートして)、私たちの日常の広がり「生も死も恋も」を包み込もうとしてその領域をなおも広げています。

都市の記号システムと企業のマーケティング

辻井喬氏は、「価値」を即、「利潤を生む価値」とみる現代企業の視点から<記号のシステム>の働きを限定してとらえています。
辻井氏の見るように、企業にとっては事物の記号化は即、商品化です。しかし<記号のシステム>はすでに企業の意図を超えて、自律的に全ての事象をまきこんでいくため、企業は「それらは新鮮な意見、マーケットを深く耕すための有用性において評価される」とその意図を超えた部分を追認する関係にあります。「生も死も恋も、商品化され、シュミレーションのなかで浮遊している」という彼の言を「生も死も恋も、経済も、記号化され、<記号のシステム>のなかで浮遊している」と言い直せば、そのイメージは私たちの<都市の記号のシステム>と重なり含まれることになります。

記号のシステムから疎外される表現

完備を進める<都市の記号のシステム>は都市のさらなる高機能化をめざします。<システム>は私たちが目にするイメージ全般を制御し、私たちが日常で何を見、何を感じ考えるかを、操作の対象にしています。
商品の流通から発生進化したこの <システム>は、その機構が完備に近づいた現在、政治、経済、他の社会的な課題、思想、文化、芸術から私たちの細かな日常の事項をも含めたすべての領域をイメージ操作の脈絡のなかに置きます。
この<システム>が、表現にもたらした決定的な変化は、表現がすべて <システム>の内側の価値を映すものとみなされてしまうことです。作品をメディアが取り上げ、広く知られる現象自体はむしろ歓迎すべきことでありながら、それが同時に表現を窒息させます。 画家たちが個の視点から時代の現実をつかもうとする営みは、<システム>によって、かつての芸術の記号や他のイメージ記号と同じ位相に収められ、画家の意図した当初の意味を失います。
イメージの記号とみなされた芸術表現は、たまたま私たちの目にとまったとしても、私たちが目にする他の多くのイメージと同じように、都市の時間の流れのなかに紛れていきます。

「プラハの大学生」

「プラハの大学生」1983 , 294.6×579.1cm New York, Spiegel Collection

運のよい表現は美術館に収容されます。 その代償として、それらの表現は、都市に流れる時間に対立して個がつくり出した時間(作品)の生々しい働きかけとしてでなく、安全に鑑賞できる芸術の記号の一つとされます。

記号のシステムの中の表現

完備した<都市の記号のシステム>は、かつてウォーホルが取り上げたデザイン記号だけでなく、芸術の全域をイメージの記号として編入します。 古典芸術から現代美術の最先端までが連続する歴史の同じ位相のイメージ記号とみなされます。
そこではイメージがもともと持っていた履歴や差異は、もはや絶対の存在理由とはなりません。各々のイメージ記号は都市を彩りさらに高機能化するための観点から、雑誌やデザインなどと同じヴィジュアルな記号の集合に加えられ、絶えず集合内のオーダーを再編されます。

A.ウォーホル「最後の晩餐」

A.ウォーホル「最後の晩餐」1986

ウォーホルは、<システム>のオーダー再編の機構を真似て、個の位相で同じオーダーの再編を繰り広げます。彼は古典の名画であるダ・ビンチの「最後の晩餐」を、雑誌からたまたま見かけた「花」のイメージ記号を選ぶ感覚と同じレベルで選び、そのまま自身のイメージ記号として転用します。彼は、完備に近づく<システム>の機構を再び批判的になぞってみせます。

ウォーホルにはダ・ビンチの一点透視図法による神の秩序を表現する名作をも、巷にあふれるイメージ記号の一つとして、彼の作品に転用する。

アース・ワーク

マイケル・ハイザー 「ダブル・ネガティヴ」

マイケル・ハイザー
「ダブル・ネガティヴ」1969
ネヴァダ州メーザ河)330×13×9m

完備した<記号のシステム>がもたらす困難さに対する表現の一つがアース・ワークです。
アース・ワークは言わば都市からの逃避の企てです。 <記号のシステム>を前に無力な状態にさらされた作家たちは、現代都市によって隔てられた自然に表現の可能性を求めます。彼らは砂漠や野山に立ち、そこに何ごとかをなすことを試みます。
ロバート・スミッソンは海岸に渦巻き状の突堤を築き「螺旋状の突堤」1970としました。マイケル・ハイザーはネヴァダの渓谷の両側に巨大な穴をうがち「ダブル・ネガティヴ」1969 をつくります。しかし、彼らの表現が都市からの自由を得たかというと、事態はそう簡単ではありませんでした。


「螺旋状の突堤」

「螺旋状の突堤」1970  全長460m(ユタ州大塩水湖)の海岸に築かれた渦巻き状の突堤。

彼らが都市の機材を使い、自然に向かって成したその行為は、写真という都市の記号に収められ、都市の画廊や美術館に飾られます。
アース・ワークの作家たちの都市からの逃避の表現は、現代都市を彩る格好の記号として<都市の記号のシステム>に組み入れられました。 それは彼らにとっては予定の戦略だったのかも知れません。

七〇年代の閉息状況

ロバート・ラウシェンバーグ

R.Raushenberg 1925-

ラウシェンバーグは七〇年代について次のようにコメントしています。

「・・・七〇年代のことはよく思い出せないんだ、五〇年代と六〇年代のことならよく知っている。八〇年代は現実だ。(中略)作品を未完のままに残しておこうという考えは、ヴェトナムとカンボジアの状況に直面して感じた絶望に端を発していると思う。 私が支持したいと思う理想主義は七〇年代には姿を消してしまった。 誰もが自分を破滅に追い込んでしまい、八〇年代にまで活動を持続していこうとするものはなかったんだ」
Robert Rauschenberg, Elizabeth Abedon Edition,[特集]現代美術ウォーホル以後,美術手帳1988,10.

画家がどのように表現しても、その差異や批判は不問に付され、時代は彼らの営みとは無関係に進行していってしまう。 ラウシェンバーグは表現の閉息する状況を、アメリカの政治的な行きづまりに原因するとみました。しかし、根本の原因は、<記号のシステム>の完備からきています。彼の状況理解からは打つ手はなかったのです。

いかにして現実に手をかけるか

新たな表現を展開する難しさは次の点にありました。 <記号のシステム>は新たな表現をすぐさま自らの記号領域に組込みその批判を無化してしまいます。完備した<システム>は記号の<収集—放出–オーダー再編>のサイクルのスピードをめまぐるしいまでに早めます。
作品として作り出された個の時間が<システム>のサイクルの時間を上まわらなければ、いかに長い修練を積んだ表現でも既存のイメージの範囲内の停滞とみなされ作家はその威信を低めこそすれ高めることはありません。 新人ならば問題にもされません。作家たちは現実に関わる方法でなくなってしまった各自の表現をたて直し、時代の現在に止まろうと模索します。
この状況に打つ手のないラウシェンバーグは先のコメントのように、作品を未完のままにしておくことを選びました。知的な表現をきわめたステラは、表現主義的な混沌に表現の方向を転じます。
ジョーンズは都市の記号を取り上げることを止め、クロス・ハッチングや敷石など自らが無意識的に選んだ無意味なモチーフに固執し個の記号化の初源を追うこと試みます。
<記号のシステム>の完備によって、既存の作家たちはそれまで築き上げた自己の表現の物質と概念の関係を解体し再編することをせまられます。しかしシュナベールら無名の作家にとっては、<記号のシステム>に新規参入しながら、表現の個的な意味を失わずに持ちこたえるという、彼ら以上に困難な条件下にありました。

絵画に持ち込まれた皿

「無題(花瓶)」

「無題(花瓶)」1985,153×123cm

シュナベールは「絶望」のうちに、<記号のシステム化>が進行し、絵画が終わったことを理解します。 かつてジャッドが、カンヴァスと絵具という画材がすでに絵画の価値を決定づけしまっている、と現象的に事態をとらえたように、<記号のシステム>の完備が近い状況下では、絵は何を描いても絵画としての記号的価値をはすでに定められ、絵画は終わっています。この時期に画家をめざすシュナベールが、絵の主題の工夫によってその終わりを突破する余地はすでになくなっていました。
シュナベールの戦略は、言わば絵画の終わった状況に対する開き直りです。

<絵画が終わったということは、逆に、今まで出回った主義主題の何を使ってもよくなったということではないか。 新しい主題がもはや存在しないのなら、いっそ最もありきたりの主題を使えばよい。そのありきたりの主題と、どこにでもころがっているありきたりの事物をくっつけよう。 ありきたりの主題と事物こそ私たちを囲んでいる絶望的な現実をあらわしているではないか。 誰もが絵画とは思えないありきたりの事物と結びつけたありきたりの主題の組み合わせは、もはや絵画であって絵画でない、現実感に満ちた何かになるだろう。>

「平面の上に、またもう一つ絵を描くようなことはしたくない。平面を否定するものが欲しかった。絵画性そのものを否定しながら、絵画性を内包するようなものを作りたい。ぼくが描きたいのは何かのイリュージョンとしての作品ではなく、本来そのもの自体であるような作品なんだ」
「アート・ワーズ」ジーン・シーゲル 木下哲夫訳 1992 スカイドア

「絶望」だけがリアルだと感じるシュナベールは、すでに命脈の尽きた絵画と彼の日々の「絶望」を象徴する事物と結びつけます 。あろうことか、彼は働いていたレストランのごみ捨て場に捨てられた皿を画面に張り付けます。
彼の皿を絵画に持ち込む行為は、かつて抽象表現主義を批判し、都市の現実に目を向けたラウシェンバーグが、都市の不要物を画面に持ち込んだことを思い起こさせます。そこには現代の物質主義に対する、ユーモアをこめた皮肉、ある楽天的肯定的な気分がありました。しかし、「絶望」のサディスティックな表現であるシュナベールの営みには、もはやそのような余裕はなくなっています。

「ぼくにとっては皿を使うのは自然な成り行きだった。そのころぼくがレストランで働いていたからだという人もあるけれど、そうではなくて、皿が実用品だからなんだ。それと同時に、皿ほど不安を感じさせるものはなかった。どんなふうに見えるか見当もつかなかったからね」
「アート・ワーズ」ジーン・シーゲル 木下哲夫訳 1992 スカイドア

割れて不要となった皿の集積は私たちが今まで目にしたことのない殺伐とした現実感をもつ表現をもたらしました。それは彼が毎日目にする職場のごみ捨て場の殺伐とした風景であり、私たちをとりまく現実の殺伐さそのものでした。また、彼の描くイメージもレストランの壁にかけられた複製画そのままのような、使い捨てられたありきたりのイメージです。シュナベールは、現実の生活空間で記号の役割を終え、事物の間に埋もれつつあるイメージを再び表現の場に引き出します。

フロイトの退行説からみた作家たちの営為

ここで、私たちはフロイトの説いた退行説を思い起こしてみます。
フロイトは、私たちが重大な危機に見まわれたとき、過去の未成熟な心理状態に逃げ込み危機に消極的に対処する姿勢をとることを退行と呼びました。未成熟な心理状態の核が固着と呼ばれます。

Sigmund Freud

Sigmund Freud
1856-1939

フロイトは個人の精神的成長を外敵を駆逐しながら進む民族の大移動にたとえます。重大な衝突があった地点に要員の一団を守りに残し、民族はなおも前進を続けます。民族の一行と要員にたとえられているのが精神のエネルギーです。重大な衝突にみまわれ要員を残した地点が固着でした。


行進する残りの一行が再び対処できないような大きな戦闘に直面したとき、一行の大半が体制を整えるべく要員を残してきた地点へ退却してしまいます。
フロイトはこの退却した状態が退行であり、一時的な退行でなく退行が固定化してしまったものが神経症などの症状だと説明しました。
七〇年代、完備した<都市の記号のシステム>は、あたかも私たちが個々に無意識をもつように、イメージの集合のすそ野にイメージ以前の無意識の領域をひろげていると考えられます。そのひろがりを<時代の無意識>と呼ぶことにします。<時代の無意識>には、各々のイメージ記号に至る履歴が固着点のように沈みこんでいると想定できます。

今、<記号のシステム>の完備に突き当たった作家たちの営みを<時代の無意識>への退行としてとらえます。芸術表現の進展はさしずめ民族の大移動です。部隊が対処出来ない重大な事件が <記号のシステム>の完備です。部隊は体制を立て直すべく、現実から過去の固着地点に向かって退却を重ねます。作家たちは自らの無意識にまかせて、進路を過去にとります。退行の進路は各々の固着地点によって異なり、ある作家は美術史上の表現の成立をさかのぼり、またある者はより深く、絵画として意味をなす以前の個の表出史に向います。

七〇年以降のジョーンズは、ふと見かけた車のクロス・ハッチング模様にこだわり、都市の記号が成立する以前、無意識に沈みこんだ記号の履歴に向かって深く退行していきます。七〇年代中ばからのステラは、彼の表現が都市の記号に組み込まれる分だけ時代の無意識への退行を深め、事物が記号として成立する以前をたどり事物の混沌とした状態のなかに踏み込んでいきます。

J.Johns, Scent,1973-4

J.Johns, Scent,1973-4 の
クロスハッチング.

彼の営みは、表現を重ねるに従ってその退行の度合いをなかば自動的に深めていく事例となっています。 新表現主義の作家たちは、、表現史の固着点めざして退行していき、彼らが行きついた初源の表現が表現主義です。

精神の平衡を求める表現

時代の無意識への退行は、作家たちが見つけ出した精神の平衡を保つ方法です。退行は深く進めば病理の領域に達しますが、通常は精神の平衡を守る働きです。その意味では現在の時代の無意識に退行する表現は、時代に対する精神の防御の表現と言えるかも知れません。シュナベールの独自性は、表現主義への退行と現実の事物である皿を結びつけたことです。 それは彼の精神の相反する要素、絵画を否定する意識と絵画へ固執する無意識を満足させ、精神の平衡を保つ方法となり、自らを絶望の淵から引き上げたのです。彼はその事情を次のように述べています。

「暮らしのなかで、感覚はばらばらにされている。そうした分離のためにぼくらは平衡を失っているんだ。平衡の欠如から出発して、平衡を回復した新たな詩情をつくりたい。何かがうまくできる人というのは、平衡を欠いているんだが、つねに平衡を回復しようと努めている人なんだと思う」
「アート・ワーズ」ジーン・シーゲル 木下哲夫訳 1992 スカイドア

進歩主義からの反感

ドナルド・ジャッド

D.Judd
1928-1994

前にもふれたように、ミニマル・アートの作家、ドナルド・ジャッドは新表現主義の潮流に対して、手厳しい意見を述べています。 その要点を抜き出します。
過去五〇年にわたり、新たに登場するアートの質はつねに低下してきた。
二五年前には、シュナベール以上のアーティストが百人はいたはずだ。その理由は解き明かせていない。
四〇年代の後半から六〇年代初期にかけて、多くの有能なアーティストが出現 したが、その理由も分からない。
シュナベールはバゼリッツよりましだが、「抽象」の瓢窃にすぎない。


彼の激しい口調の論旨を取ると次のようになります。
<かつて質の高い作品をつくる作家が続出したが、その後は、芸術表現の質はずっと低下し続けている。その原因は分からない。シュナベールは抽象の真似だ。>
芸術表現をあくまで概念の上昇と形態の純化に求めるジャッドには、新表現主義の作家たちが絵画を退行し「アートの質を常に低下」させる行為は理解できないものでした。 彼は芸術表現の質の低下を激しく非難しますが、その原因を解明できてはいません。 表現が自立してあるものと考える彼には、<都市の記号のシステム>の動向が視野に入らず、システム化の過渡期に記号の落差をとらえた「あれほど多くの有能なアーティストが出現した」理由もつかめませんでした。

抑圧の認識以後

ステラにみるように、作家が表現の可能性を時代の無意識に委ねれば、表現が記号に組み入れられる動きに伴ってより深く退行を進め、記号化が及ばない初源のイメージを引き出す道をとります。
自分を架空の映画のワン・シーンに置くシンディ・シャーマンの写真が、徐々に死のにおいの立ちこめた世界に入りこんでいくのもその一例です。

「・・・だいたいこの世の中はあまり住みやすくないし、人間的でもないからね。恐怖の体験を暴露しながら、なおかつ生き延びる糧となるような絵を描きたい。人々の自由を抑圧しているものを明らかにして、人々を解放したいんだ」
「ぼくは芸術やぼく個人の栄光のために描いているのではなく、感情をもった人 間を賛えるために描いているんだ」「アート・ワーズ」ジーン・シーゲル 木下哲夫訳 1992 スカイドア

シュナベールが「人々を解放したい」と言うように、芸術表現は、現代都市に生きる私たちの<疎外>を解く営みとしてあります。 <時代の無意識>へ退行する彼の芸術表現によって「人の自由を抑圧しているものが明らかに」なり、退行を重ねる意味が明らかになれば、私たちにとってはその表現の役割は終わります。つまり、さらなる退行の表現は、必ずしも取らねばならない道すじでもないのです。

ウォーホルの肯定的態度

アンディ・ウォーホル

Andy Warhol
1928-1987

人間的な退行の道筋をとらず、逆に「私は機械になりたい」とあかあらさまに宣言したのは、かつてのウォーホルです。彼が冷静に見ていたのは、<都市の記号のシステム>が完備に近づく姿と、それにつれて記号のすそ野にひろがる<時代の無意識>が資本の意図を超えた濃密さを湛えるようになった事態です。彼は完備した<システム>にはもはや内側しかないという認識を表に掲げ、「機械のように」<システム>のイメージ記号の生成過程をなぞります。


その営みによって逆説的に、危機に瀕する個の領域と危機の進行につれて膨れ上がる<時代の無意識>の様態を浮かびあがらせたのです。 ウォーホルの芸術表現は、世界を概念的につきつめる営みによってのみ、芸術表現の新たな地平がひらかれることを示しています。
シュナベールの芸術表現においても、彼を「絶望」に陥れる現実を絵画に対峙させることを決定した、その概念的な姿勢が重要な位置を占めています。そして今、私たちは、彼の「皿」が見えるかたちにした現実の絶望的な相に向かい合っています。

デュシャン、再び概念

マルセル・デュシャン

M.Duchamp
1887-1968

シュナベールの「皿」は現実の「絶望」の相を私たちにつきつけています。さらなる道はひらけるのか? もはやここで現代の芸術表現の命脈は絶たれているのか? 今までみてきた現代美術の流れは私たちをどこに向かわせるのか? 私たちの生きる道はあるのか? 今世紀のはじめ、すでに時代の行方を見すえていたデュシャンの言葉をここで再び聞きます。


「私は何事も受け入れることを拒み、あらゆる事を疑った。そう、あらゆるもの を疑ったので、私は以前には存在しないもの、また以前には考えたこともなかった ものを見い出さねばならなかった。何かが頭に浮かぶと、私はそれをひっくり返し てみて別の方向から見ようとした。」
「現代美術五人の巨匠」カルビン・ホプキンス 美術出版社1972.

世界のとらえ方を概念の次元でつきつめ、私たち以前には存在しなかった世界の像をひらくこと、デュシャンの言葉は私たちになおその課題が残されていることを語っています。