- 1945
- オハイオ州に生まれる。
- 1955 10歳
- トリード美術館付属デザイン学校で学ぶ。
ニューヨークのスクール・オブ・ヴィジュアル・アーツに学ぶ。
ニュー・スクール・フォー・ソシアル・リサーチで哲学、人類学を学ぶ。 - 1965 20歳
- コンセプチュアル・アートを始める。
- 1960年代後半
- スクール・オブ・ヴィジュアル・アーツのアーティスト・プログラムを組む。(ジャッド、ルウィット、A.ラインハルトを含む)
- 1969 24歳
- 論文「哲学以後の芸術」を発表する。
- 69-73
- アート・アンド・ランゲージを結成、雑誌と制作活動を行う。
- 70年代中頃
- ジャッドらと前衛芸術雑誌「ザ・フォックス」を発行する。
- 1991 46歳
- 1966-1990までの論文集「哲学以後そしてその後」を出版。
- 1991-
- シュトゥットガルト州立美術アカデミー教授。
現在、ニューヨークとゲントに在住
「哲学と宗教が終わった人類のこの時期にあって、芸術はあるいは他の時代に<人間の精神的必要物>と呼ばれたようなものをかなえる努力になるかも知れない。……芸術の唯一の要求は芸術のためのものである。芸術は、芸術の定義なのだ」
J・コスス「哲学以後の芸術」より
「一つで三つの椅子」One and Three Chairs,1965
ここには、三つの記号で示された椅子があります。
それらは、椅子の実物大の写真、実物の椅子、辞書から取られた椅子の定義の項目を拡大コピーの三つです。ここでは実物の椅子もただ「椅子」という意味をあらわす記号として使われています。それぞれの記号が「これは椅子だ」と訴えています。そしてそれ以外には何もあらわしてはいません。
この提示(インスタレーション)* には、近代までの芸術作品が持っていた私たちの情感を動かすインフォメーションが見あたりません。つまりこの提示にはいわゆる「芸術」が不在です。
作品の要素を切りつめたステラやジャッドの表現でも、人の手を経た事物=作品としての形がありました。(ジャッドの箱の場合は職人の手によるものでしたが。)ところが、ここに並べられているのは都市の記号そのものです。作家の手はただ出来合いの記号を選び並べるだけです。
作家の手わざを鑑賞する楽しみから遠ざけられた私たちは、作者がなぜこの単純で味気ない記号を羅列するのかという疑問へと導かれます。
コススの「椅子」は彼が二〇才の時の作品です。彼は、記号と事物の深層に踏み込もうとする自らの芸術を概念芸術(コンセプチュアル・アート)と呼び、その考えを後にふれる論文「哲学以後の芸術」にまとめ一九六九年に発表します。
ミニマル・アートの限界
先ず、コススが概念芸術(コンセプチュアル・アート)を始めた当時の現代美術の状況をふり返ってみます。六〇年代、都市の記号を再記号化することを自らの表現と定めたポップ・アートは、ひたすら表現領域の拡大と作品の量産をめざしていました。
またハプニングは表現の対象を日常生活のすべての領域に広げ、それらを演劇的な時空に転換することを追究していました。
当時のこれらの芸術表現は日常の広がりと区別がつかない次元にばらばらに拡散していく様相をみせていました。 ミニマル・アートはそれらの動向に対し、芸術表現とは何か、何のための表現かを問いつめ、日常に拡散しつつある芸術表現の概念的なレベルを再び上昇させようとする動きです。
しかし、その動きも、考察の対象を事物の側面に絞りこんだために、時代の全体像を映し出すには至りませんでした。コススの概念をつきつめる表現は、ミニマル・アートの限界をみきわめるところから始まっています。
ミニマル・アートは、近代の抽象表現の上に成立しています。
近代芸術の到達点のひとつがモンドリアンらの抽象画です。モンドリアンは対象世界を概念的にとらえる度合いを上げ、世界と自己の関係を要素還元し、取り出した基本要素を使い世界を自在に構成し表現することを試みました。
ジャッドやソル・ウィットらミニマル・アートの作家たちがつきつめた表現の最小限の要素は、三次元の立体構造です。彼らの都市空間の還元は、結果として、モンドリアンの平面の基本要素に奥行きを加えた立体構造物を作り出すことに過ぎませんでした。
その単純な還元の結果は、直ちに都市のビルやその骨格の模型を思わせます。また、平面の表現を追うステラは、絵画を徹底して還元しストライプを描くことを絵画の最小要素とします。しかし、それ以後、彼は逆に現実の事物の混沌にその表現を委ねていきました。
コススはあるインタヴューのなかで、ミニマル・アートを次のように批判しています。
「ジャッドやモリスは、あなたがいわれるように芸術を現象学的に捉え、その興味を現象学的に普遍化しようとしたために、モダニズムの範疇に留まらざるをえなかったといえます。
換言するならば、表現主義やキュビスムが解決できかった本質的に現象学的な命題に、やはり現象学的な視座から取り組んだのです。」
意味の形成/歴史の形成 インタヴュー上田高広 美術手帳 1994. 12.
コススは、芸術表現を事物の形の問題に限定したジャッドらミニマル・アーティストの考えを「現象学的」と批判しています。
コススが言うように、彼らは概念化の作業を事物の形の要素を切りつめることに限定したため、提出された作品は都市の模型と呼ぶべきものになりました。
またステラは平面の現象にのみ目をこらした結果、その現象の増殖に彼の芸術表現を委ねていきました。
これはパイプではない
ところで、コススの作品は、かつて、シュール・リアリストのルネ・マグリットが描いたパイプの絵を思い起こさせます。
そっくりに描かれたパイプの下には、「これはパイプではない」と書かれています。彼はなぜわざわざパイプではない、などと書くのでしょうか?
そこにはさまざまな解釈が成り立ちます。まず、すぐに思いつくのが、画面に描かれたパイプは実物のパイプではないからだという理由です。
「絵に描いた餅」という言葉のように、絵に描いたパイプはいかに実物そっくりでも、パイプの絵であることに変わりがありません。しかし、この種の解釈は「これはパイプではない」と書かれた文を素直に受け入れたうえに成り立っています。
文自体もこの仕掛けに一枚加わっているとしたらどうでしょう。
文が自らを指して自分はパイプという言葉であり文字であってパイプそのものではないと主張しているとも考えられます。
マグリットがわざわざこのややこしい仕掛けを考えたのは、メディアが記号化して繰り出す情報を何の疑いもなく受け入れている私たちの姿勢に疑問符を投げかけるためです。
彼は絵画と文字という二種類の記号を画面に並列に置きます。
もし、パイプの絵と文字が同じ意味を指し示していれば、私たちは容易にその情報を正しいものと判断して受け入れたはずです。二つの矛盾する記号は、私たちの知覚・・判断の能力が実は危うい基盤の上にあることを暴き出しています。
*ミシェル・フーコーはマグリットのパイプについて一冊の本を書いている。
「これはパイプではない」 ミシェル・フーコー.1973豊崎光一清水正訳 哲学書房 1986
日常での判断と記号
「椅子」の制作の意図についてコススは次のように述べています。
「あの作品(椅子)は、物体のプレゼンテーションではなく、プレゼンテー ションの実際的なプロセスに重点を置くものでした。つまり、意味の生成を問題としたのです。鑑賞者も物質そのものに対峙するというよりも、物質によって媒介される観念に対峙します」
意味の形成/歴史の形成 インタヴュー上田高広 美術手帳 1994.12.
マグリットの「パイプ」が記号に頼った私たちの知覚・・判断のプロセスの虚をついたように、「意味の生成を問題とする」コススは、記号、「椅子」をそのまま提示し、私たちが、都市の差し出す記号をそのまま受け入れ「意味を生成」している事態を批判的に取り上げました。
記号を<作品>としてあらためて提示されると、私たちは都市の記号のスカスカした<目の荒さ>に驚かされます。
しかし日常のなかでは、記号の<目の荒さ>は私たちの関心の外にあります。例えば、私たちはブラウン管の走査線を見ずに画像を追い、網点を見ずに新聞のニュース写真を見ています。
彼の芸術表現は、私たちの日常の知覚・・判断に至る概念化の働きが、いかに記号の表層のみを滑っていき、記号と事物の深層には触れないままでいるかを端的にあらわしています。
椅子に意味はあるのか
コススの選んだ「椅子」には、何の個的な意味もこめられてはいません。それは三つの記号自体を観察するための、言わばダミーとしての記号の「椅子」です。
彼の関心は、普段私たちが見落としている記号のありのままの姿を提示し、記号のありようをつぶさに調べることにあります。そこで、私たちは彼の意に沿って記号のあり方をみることにします。
コススの提出した三つの記号のうちの一つが実物の椅子です。
都市のなかでは、椅子という実物自体が椅子の概念をあらわす記号です。
この椅子の形や品質はコススの個的な思い入れからは無縁です。
それはデュシャンが「良い趣味や悪趣味にせよ趣味の全くの欠如・・・実際には完全な無感覚状態で」* レディ・メイドを選んだことと対応しています。日常の私たちは、そこに置かれた椅子を、外見からすぐさま椅子として見、すぐさま次の判断や行動に移っていきます。
*マルセル・デュシャン全著作集M・サヌイエ編 北山研二訳 未知谷 1995.
二つめが現代都市の記号の代表的存在である写真です。
写真は当の事物がどのようなものかを一瞬にして示す映像のイメージ記号です。 証拠写真、ニュース写真が実在すること、事実であることを示すように、写真はしばしば実物の代役を果たす記号です。 個人の側にあっても、人が恋人や家族の写真を大切に持つというように、実物に代わり個的な思いを満たす記号でもあります。
三つめの辞書の定義(厳密に言えば、この提示も写真映像です。)は、都市の<記号のシステム>の根幹を担う言語の記号です。
言語の記号は先ず自身が自らを定義し概念の体系をかたちづくり、事物の意味、機能、形態を定義し体系づけます。
辞書にまとめられた言語概念の体系は、都市の側からあたかも事物全体の上に網をかけるかのように事物を規定しています。
これらの記号を制御する<都市の記号のシステム>は、私たち個々の概念、思いや考え、に対し、その差異を標準化し、事物の概念を機能の面で切りそろえ、都市のより迅速な時間を生むことをめざしています。
個人の概念としての椅子
一方、個人の思考のなかの概念のあり方をみてみると、「これは私の椅子だ」「この椅子は父の愛用したもので大切な思い出の品だ」等々、私たち自身の概念は、椅子とはしかじかのものだとする共通の記号部分を取り込みながら、個人の意味づけや価値観の違いによってふくらみ、そのすそ野に「椅子」の概念に至るまでの感情や思いをまとわりつかせた広がりをもっています。
その全体を「椅子」の個的な概念と呼ぶとすると、コススが三つ並べた都市の記号の「椅子」は、私たちの持つ個的な「椅子」の概念全体を埋め尽くすにはあまりに目が荒くスカスカに感じられます。
たとえ、 彼が違う種類の記号を次々に追加したとしても、そのスカスカした感じは完全には解消されず、私たちの個的な「椅子」の概念を埋め尽くすことはありません。個的な概念は都市の記号よりも常に<大きい>のです。
都市の記号の「椅子」と私たちのあいだの埋めようのない空虚さは、私たちの個的な概念の広がりと都市の<記号のシステム>とが<逆立>した関係にあることからきています。
都市の記号と私たちの関係
ここで、私たちは、私たちの精神のあり方と都市の記号との関係に踏み込んでみます。
意識のうちでは、私たちの存在は現実の私たちのあり方と逆転しています。
現実には、私たちは世界全体のなかの一つの点のような小さな存在でありながら、反対に私たちの意識のうちでは、世界全体を対象にしようとする矛盾した存在です。それを図式化したのが図1です。
現実の世界を下の円Wとすると、私たちはその中の任意の点pに過ぎません。しかし、任意の点pである私たちは、逆に、現実の世界、Wの方をまるごと対象にする精神、意識の働きをもっています。私たちの意識が概念として描く世界の広がりが上の円Pです。
例えば、私たちがただぼんやりと外界を見ているとき、その意識はまだ現実の面のごく近くに止まる小さな円 です。私たちが、外界を見ながら、「今日の空は青い」とある判断を加える時、その概念的な広がりはより上昇した円を描きます。現実の世界に判断を加え、概念としてとらえる作業を可能な限り進めた意識の広がりが円Pです。
円Pを押し上げ、広げる動きが私たちの意識の営みであり、現実に対して逆向きの円錐形が私たち個人の概念世界です。この逆向きの円錐形は現実に対して逆立する私たちの意識の矛盾したあり方をあらわしています。芸術表現は円Pを押し上げ、広げる意識の営みの一つとしてあることになります。
記号のシステムのあり方
一方、<記号のシステム>Sは、元は私たちのつくりだした同じ精神の所産でありながら、現実の世界Wの秩序として、私たち個人の知覚、概念作用を統御しようとする働きです。それは私たち個人の概念世界と対立し現実の側に向いて成立しています。
都市の<記号のシステム>の運動は、私たち個々の概念世界を記号として吸収し自らのオーダーに組み入れ、その幻想領域をさらに広げようとします。
一方、私たちの個々の概念世界は、<システム>が示す概念の枠を否定的に取り込み、さらに自らの領域を拡大し上昇を遂げようようとします。<システム>がまだ十分に大きくないとき、その円sの秩序は、まだ現実のわずかな部分しかカバーしません。
<システム>が完備するに従い、その制御範囲を広げ私たちの日常生活の全域をその体系におさめようとします。(図2)
記号と逆立する私たちの考え
さらに、私たちの概念世界と記号のシステムのあり方を考えると、二つの領域は逆向きに対立し、それぞれ互いの領域を自らの領域に組み込み再編し、自らを拡張強化しようとする運動体と考えられます。
両領域の関係を、例えば、コススが「椅子」で取り上げた言語の記号でみると、私たちの「椅子」に関する思いや考えは、<システム>の共通の記号、「椅子」を取り込み置き換えることによらねば具体化されません。
また、私たちの「椅子」に関する思いや考えが言語に具体化されたすそ野には、まだ概念として記号化されない感情や思いが広がっています。それらの広がりの実感が私たちの意識を押し上げ、私たちをさらなる具体化に向かわせます。
一方逆に、<記号のシステム>は私たちの思いや考えの運動を共通の意味の範囲に繰り込み、意味の秩序を維持拡大しようと働きます。
<記号のシステム>がめざすのは現実の世界を完全に統御しその外側にひろがる無意識の領域をも取り込んでより完備したシステムとして成立することです。
図に見るように、現実とその無意識領域の広がりをどこまでも取り込み、完璧な円錐形になることをめざします。(図.3、4)
現代芸術の行方
現代芸術の作家たちは、自らの芸術表現が<記号のシステム>に吸収され、かつての芸術の範囲におさめられてしまうことに異議をとなえます。
それは、個人の営みとしてくりひろげた芸術表現の意味と価値が、それと逆立する<記号のシステム>の意味と価値の構造によって転倒され飛ばされてしまうからです。その事情を理解するには、コススの選んだ「椅子」の記号が私たちにスカスカした感じを与えたことを思い出してみると良いかも知れません。
彼の提出した「椅子」は、都市の記号から個人の「椅子」の幻想をすべて差し引いた、無機的な記号としての「椅子」です。作家たちは、彼らの芸術表現が転倒され、個的な意味が<システム>の共通の意味や価値に変換されてしまうことに異議を唱え抵抗します。
ここで、<記号のシステム>との関係から個々の作家たちの芸術表現をみることにします。
五〇年代のラウシェンバーグが「僕は芸術と現実の間で仕事をする」と言うのは、彼が都市の記号の領域と個人の思考の領域の逆立関係に焦点を当て、個の表現行為と逆立する事物の記号とを接合(コンバイン)してみせ、その違和感を生み出すことを芸術表現としたことを指しています。
ジャスパー・ジョーンズは、個人の表現の営みからは逆向きの都市の記号、旗をわざと個の記号であるかのように扱い、その落差をあからさまにしました。六〇年代のウォーホルらポップ・アーティストは、都市の記号から取り出した記号をあくまで都市の記号を作る機械的な手つきで逆向きのまま扱い、空虚な個の記号として都市の記号の平面に提出しました。
ミニマル・アーティストのジャッドは、逆立構造には無頓着に都市の記号を<純粋化>して個人の思考の形としましたが、それは当然の事に、すぐさま都市の記号の平面に吸収されていきました。
ステラは、個のそれとは逆立する都市の記号の成立要素を極小に絞り込むことによって逆立関係を無化し個的な表現とします。
しかし、その後、彼は<都市の記号>の増殖の過程を許し、個的な意味の方を極小化しつつあります。彼の営みは、ミニマル・アートの到達点から方向を逆に、現代美術の発生点に向けて遡行する軌跡を描き出しています。
このように彼らの芸術表現は、都市の<記号のシステム>に対して、さまざまな軌跡を描く個のベクトルとしてみられます。
<システム>は、それらの個のベクトルをいずれも近代の美の表現を受け継ぎ美意識、形態の美を表現する芸術の記号とみなし、すべて都市の<記号のシステム>に回収していきました。
デュシャンのレディ・メイド
個人の幻想を事物の形に具体化する芸術表現が、すぐさま都市の芸術の記号として回収されてしまうことを回避する最初の試みが、デュシャンのレディ・メイドです。 彼のレディ・メイドの考えは、記号の体系に回収されずに記号の体系を語るには、すでにある記号をもってすればよいとする、コペルニクス的転回でした。
*個の幻想の所産としてある芸術表現
人間の精神の所産のすべてをあえて幻想と呼んだのは、吉本隆明氏である。
彼は精神、心的世界を三つの異なる位相に分けて考えた。それらは、個人の幻想(芸 術、 文学を含む)、男女の対の幻想(家族、性)、社会を支える共同の幻想(法、国家、宗教を含む)である。
彼は、個人の幻想と社会の側に立った共同の幻想とは逆立する関係にあること。
またさらに、両者の間に男女の対の幻想(家族、性)が想定されることを指摘した。
精神の所産の全域を位相的に区別するその観点は、私たちが個の領域から生まれる芸術表現をとらえようとする時、ひとつの示唆を与えている。
「共同幻想論」吉本隆明 1968
コススはデュシャンのコペルニクス的転回について、先の論文で次のように述べています。
「別の言語で語り」なおかつ芸術において意味をなすことが可能だという認識を抱かせるに至った事件は、マルセル・デュシャンの最初の独立した<レディ・メイド>であった。
この独立した<レディ・メイド>を機に芸術はその焦点を言語の形態から語られている内容へと移行させた。ということはつまり、形態の問題から機能の問 題へと芸術の質が変わったのである。
この変化 –<外観>から<概念>への変化– は現代美術の幕開き、そして概念芸術の始まりであった。(デュシャン以後の)すべての芸術は、本質として概念的である。なぜなら芸術は概念的にしか存在していないからだ」
哲学以後の芸術.ジョセフ・コスス 松岡和子訳.芸術倶楽部 1974.9.
近代の意識を受け継ぐ画家たちにしてみれば、デュシャンが、画家が手本とすべき自然から個的なかたちを作ろうとせず、事物という手本自体を表現に持ち込もうとは思いもよらぬ事件でした。
デュシャンの新たな芸術表現<レディ・メイド>は、見ることの差異を追究するというあまりに狭い範囲に限定された画家の営みを、考えること自体の広がりに引き出しました。
デュシャンの批判
「私は瓶かけと便器を、挑戦のためにひとびとの面前に投げつけたのに、ネオ・ダダはそれらを美学上美しいと賞賛する。」
「現代美術五人の巨匠」カルビン・ホプキンス 1972
ネオ・ダダと呼ばれたのは、ラウシェンバーグとジョーンズです。デュシャンに倣い事物や事物の記号を表現に持ち込んだ二人の芸術表現は、デュシャンの仕事を受け継ぐものとみられます。
しかし、彼は二人の出現を喜ぶかと思いきや、逆に彼らに批判の刃を向けます。 それによると、デュシャンが事物をとりあげたのは、<美>のかたちの追求が私たちの認識を広げる営みを疎外してしまうことへの批判であり挑戦である。
ところが、二人の行為は都市の事物と記号のかたちに<美>を探ることに陥っているというのです。
デュシャンの批判は、二人を槍玉に上げながら現代美術全体に向けられています。近代絵画の欠陥は、世界をいかにとらえ表現するかという営みを自然の対象をいかに見るかという、視覚的効果の追究に限定したところから生じています。
一方、現代美術は、その対象を自然から都市の事物や記号に移します。
しかし、都市の事物や記号の視覚的効果を追えば、その営みは現代の新たなリアリティ=<美>の追究ではあり得ても、近代絵画と同じ欠陥があらわれるのは明らかです。
デュシャンはネオ・ダダを例に取り、現代美術全体が陥りつつある同様の欠陥を批判し、自らの芸術表現の意味を再びあきらかにしました。
デュシャンは精神の思索する自由を表現の最上位に置きます。
彼にとって、事物を直接表現に登用することは、かつて画家が最上位に置いた感覚・感性、美意識を捨て去るための方法でした。事物や記号に<美>の形を求めれば、作家は<都市の記号>の内に立つことになり、<システム>に対する批判は芸術表現から失われます。個人と記号の領域全体に言及する表現を求めれば、彼が主張するように、美意識を切り捨て<システム>の外に立つ以外にありません。
哲学以後の芸術
コススは、記号と事物のあり方に踏み込む彼の芸術表現を概念芸術(コンセプチュアル・アート)と呼び、一九六九年、その考えを論文「哲学以後の芸術」にまとめます。
そこで攻撃されるのは、先ず哲学です。哲学は、かつては世界と自己のあり方を思索する方法としてありました。
しかし、現代においては、哲学の手続きと方法は、科学・技術の仮説と実証の速度についていけず、堅苦しい思考の形式ばかりが残されています。コススは、今や、哲学に代わって芸術こそが現代の世界をとらえる営みであり得ると主張しています。
「哲学と宗教が終わった人類のこの時期にあって、 芸術はあるいは他の時代にあって <人間の精神的必要物>と呼ばれたようなものをかなえる努力になるかも知れない。
またこれを言い代えると、かつては哲学が主張しなければならなかった<自然科学を超えた>場で、芸術も同じように事物の在り様を扱うということになろうか。
そして芸術の強みは、上記のこの文章すらひとつの主張であって、芸術によっては立証され得ないということである。
芸術の唯一の要求は芸術のためのものである。芸術は、芸術の定義なのだ」
「哲学以後の芸術」 松岡和子訳 芸術倶楽部 1974.9.
デュシャンが批判したように、本来、知的な営みである芸術表現を単に感覚によってかたちを作り出す作業に限定する考え方が、近代芸術の限界を生み、現代美術にも同様の欠陥をもたらしています。
コススは、もし、作家が事物を作ることに固着せず、思索するスタンスを自在に取るなら、芸術表現こそが、哲学の形式化した思考に縛られず、また事物の実利実証の営みとしてある科学・技術をも超えた現代の世界をとらえる方法たり得ると言いたいのです。
「芸術の機能をひとつの問いとして最初に提出したのは、マルセル・デュシャンである。
実のところ、芸術に芸術自身の身元証明を与えたとわれわれがはっきり言えるのはマルセル・デュシャンその人なのだ。(たしかに、芸術のこの自己証明に向かう傾向はマネやセザンヌに始まり、キュービズムを通しても見ることができるが、彼らの作品はデュシャンのそれと比べてみるとおずおずとしたあいまいなものだ。)
現代芸術とそれ以前の作品とは、それらの形態(論)によってつながっているようにみえる。言いかえれば、芸術の<言語>は同じままだが言っている内容は新しいということになろうか。・・・」
「哲学以後の芸術」より
論文に潜ませた「仕掛け」(インスタレーション)
コススの論文は、最後の一文がなければ、ただまじめで正当な現代美術の主張として終わるところです。 彼は最後の一文を加えることで彼の論をメディア上で働く言葉の「仕掛け」(インスタレーション) としました。
「芸術は、芸術の定義だ」という言い方は、<現在の芸術は、かつての失われた(達成された)芸術の定義を求める営みだ>と読めば、近代と現代の断層を知る私たちには理解しやすいものです。
ところが、この一文は、「芸術」という言葉が現状の芸術すべてを含むことから、近代を引きずり、かたちの美にこだわり続ける作家、批評家たちに対しては、<かたちの美にこだわる君たちの芸術はただの同義反復、同じ定義のなかの繰り返しではないか>とする挑戦状と映ります。
その挑戦は当然、<コススの表現こそ記号の同義反復ではないか>と反論を呼び、彼の意図通りスキャンダルになりました。
さらに、「芸術は、芸術の定義なのだ」とする彼の言説は、彼の「椅子」の提示などの芸術表現と連動して働き始めます。それはかつて、デュシャンが便器を「泉」と名づけて提示する行為と、「リチャード・マット事件」とする抗議文の発表を連動させたことを思い起こさせます。
コススの芸術表現は先にみたように、芸術には全く触れていず、他の都市の記号がどのように機能するかの探求調査の営みです。
「芸術は、芸術の定義なのだ」とする彼の言説の同義反復の用法は、同じ意味の記号を同義反復的に並べただけの彼の提示と重なり、その営みを芸術の論議に乗せる「仕掛け」(インスタレーション)として働きます。
論文に潜ませた仕掛け
コススは自らの概念芸術の意義を次のように述べています。
「芸術とは単なるスタイルではありません。スタイルに閉じこめられた芸術の解放を私は試みました。芸術とは高価な装飾なのか、それとも哲学など種々の知的ジャンルに比肩しうる真摯な活動たりうるのか、それを問うたのです。その解答は三〇年たったいま、明らかだろうと思います。
そして通念としてはどうであれ、新たな哲学的根拠と実践的手法の開拓の点でコンセプチュアル・アートがより重要なものであったことは疑いえないのです」
意味の形成/歴史の形成 インタヴュー上田高広,美術手帳,1994,12
コススの言うように、コンセプチュアル・アートがひらいた実践的手法、事物、言語、写真など都市の記号を用い作家の考え概念を提示する方法は、インスタレーションと呼ばれ広く受け入れられました。そして、さらに重要なことは、コンセプチュアル・アートの登場によって、世界をいかにとらえるかという作家個々の概念の次元での営みが表現を決定づける要素としてクローズ・アップされたことです。
概念芸術の登場によって、既存の事物を記号として置き、その空間の変容を表現するインスタレーションや自然のなかでの作家の行為を記録するアース・ワーク、作家自身の身体を動員したパフォーマンスなどがその概念的な意味から新たな表現として注目されました。
ボイスのパフォーマンス
「革命の唯一の手段は、芸術の包括的概念以外ありえない。そこからは科学の新たな概念も生まれるだろう」*と語るドイツのヨーゼフ・ボイスは、デュシャンの知的な沈黙が「あまりに過大に評価されている」として、芸術表現の社会的政治的側面を強調しました。ボイスは社会自体が私たちの営為を集約してできあがる一つの彫刻だ、とする社会彫刻の概念を掲げました。彼自身が強調する政治的表現の側面もさることながら、彼の概念芸術は失われた初源の宗教を自らを司祭として展開するかのような古きヨーロッパの神秘性を帯びています。
*「アート・ワーズ」 マイケル・シーゲル編 木下哲夫 スカイドア 1992.
彼の神秘主義の中心に置かれるのは次の逸話です。戦時中、パイロットだった彼は撃墜されヨーロッパのはるか北方に不時着します。彼を発見したのは北方の狩猟民族です。彼らはボイスの体にラードをあつく塗りフエルトの毛布でくるみ看護します。その伝統的な看護法によって、ボイスは奇跡的に命をとりとめます。彼はこの体験を、科学・技術の挫折と自然による人間の救済を語る神話とします。
その神話に基づくパフォーマンスやインスタレーションは自然の本来の姿を復活させ理想の社会を形作るための営みと位置づけられました。
その一つをあげれば、かつてヨーロッパに存在した森林の復活を訴え、カッセルのドクメンタに出品された「七千本の樫の木」があります。ヨーロッパ古代の自然に現代社会の救済を求めるその表現は、アメリカで展開されたコンセプチュアル・アートとは異質です。
*ドイツの概念芸術家。芸術によって社会を変革するとして表現の社会的政治的側面を強調する。それを支えるのが、社会は私たちの営為を集約してできあがる一つの彫刻だとする社会彫刻の概念である。
戦時中、パイロットだった彼が先住民族に救われ一命をとりとめた経緯を神話化し、フェルトと油脂を使ったパフォーマンスをおこなう。
<現代を救済するのは失われた古代(=自然)である>という考えをその基本概念にすえている。古代の自然に帰ろうとする主張は自然保護を掲げた緑の党にも近い。
現代の疎外を古代北方ヨーロッパの神話的世界観に接続する彼の表現は、第二次大戦の敗北によって失墜したドイツ民族の世界観を補完する役割を担い、 A・キーファらのドイツの歴史的要素を強調する表現を導いた。
哲学以後の芸術、それ以後
The Seventh Investigation
(Art as idea as Idea), 1969,
context:Bの広告板
China Town,N.Y. (左)。
context:Cの垂れ幕,
Galleria Civica d’Arte
Moderna,Turin, 1970(右)。
コススに話題を戻すと、彼は「椅子」の三つの記号に続いて、インヴェスティゲーション、「調査」と題し次々と他の記号を用いた提示を繰り広げます。
彼はインタヴューで次のように説明しています。
「例えばベルリンのプロジェクトでは、テキストは映画館で放映されたり新聞を 賑わしたりしました。摩天楼の広告塔に流れたり、コンピューター・ネットワークに入り込んだりもしました。・・・」 *
彼は引用した文章を、新聞の記事、バスや地下鉄の中吊り、雑誌などにも掲載します。ここでも、記号の内容は既成のものを引用し他のメディアの形式に移し替えるという手法は一貫しています。 記号のありようを調べる彼の作業は同じ時と場所の範囲を越えさまざまな時間と空間にまたがってなされました。
「・・・美術館や画廊といった建築物から外に出て、多くの作品を社会に発信する 必要があります。文化的かつ経済的な力を得るには、効果的なプレゼンテーションを考えるべきでしょう。保守のフェティシズムに呑まれたり、新しいスタイルの追求に終始したりすることなく、意味を生成する、そんな社会的な責任が芸術家にはあるのです。・・・」
*意味の形成/歴史の形成,インタヴュー上田高広,美術手帳,1994,12.
インヴェスティゲーション、「調査」でコススは、同一の記号的内容をさまざまなメディアを使って訴えるという方法を取ります。それは規模は小さくても広告のそれと同じ方法です。
彼は、利潤を最上の価値とする企業の<記号のシステム>上の戦略にダミーの記号を差し替えてそのメカニズムを「調査」するのです。広告は、有効に機能させるために、制作のプロセス、意図、目的は隠蔽されています。
一方コススは、選んだ記号を再度記号として提示することで、記号が機能する、つまり「意味を生成する」プロセス全体を見る者の側に示そうとします。コススの営みは、都市の<記号のシステム>内で都市の記号を使ってなされています。
「The Play of Unsayable 」1989 –
一九八九年頃から、コススは美術館の所蔵作品を使い、それらを並べ直すことを自らの芸術表現、インスタレーションとします。明らかに他者の表現が、何故、彼の芸術表現となり得るのか? それは展覧会を企画運営するキューレーターの仕事とどこが違うのか? と、彼の新たな芸術表現は、私たちにさまざまな疑問を抱かせる営みです。
Installation, The Play of the Unsayable:Ludwig Wittgenstein and the Art of the 20th Century, Wiener Secession, Vienna, September 1989.Art after Philosophy and After, J. Kosuth, The MIT Press,Massachusetts Institute of Technology ,1991.
かつて、デュシャンが芸術表現に持ち込んだのは、芸術から最も遠くにあるただの日用品でした。
彼は、ただの日用品を新たな「思想」、即ち彼の芸術表現の脈絡に置くことによって、かつての芸術と事物の機能のはざまから彼の新たな「思想」を浮かびあがらせました。しかし、コススの場合は、かなり事情が違います。
Installation, The Play of the Unsayable:Ludwig Wittgenstein and the Art of the 20th Century, Palais des Beaux-Arts, Brussels, December 1989.Art after Philosophy and After, J. Kosuth, The MIT Press,Massachusetts Institute of Technology ,1991.
彼が彼の芸術表現に持ち込むのはもともと芸術作品です。彼の意図は、実際の芸術作品を用い、それらが美術館で展示されたときに記号として果たす機能を調べることにあります。
この試みは、かつて彼が「哲学以後の芸術」において、「芸術の仕事は芸術を定義づけることだ」と同義反復的な言い回しで主張し、以来続けてきた芸術の記号性と記号全体を調査考察する営みの延長上にあります。
芸術作品は個人の思いや考えを具体化したものです。一旦個人の手を離れた芸術作品は、<記号のシステム>の領域に入ります。<記号のシステム>は個人の概念世界と逆立する関係にあるため、 芸術表現は反転した観点から見られることになります。
<記号のシステムからの疎外>をつきつめ<システム>に対する批判としてある芸術表現は、<記号のシステム>にとっては新たな成果として映ります。作家が作品に具体化した批判は新たな「美」の様式の芸術記号とみなされ賛美されることになります。 作家が生み出す批判の「意味」は
<システム>にとっての新たな「美」の「価値」として転倒されてしまうのです。(バゼリッツは文字どおり彼の作品を逆さまに展示することでこの関係に反発、抵抗する姿勢を示しています。)
コススによる既存の芸術作品を使ったインスタレーションは、彼が芸術作品や引用する言説を個の位置に置き直すことによって、美術館で展開される<記号のシステム>の意図を再び反転させてもとの作家個人の側の「意味」を現出させようとする試みです。
コススの再反転する行為の介在によって、芸術作品や思想家の言説の「意味」は、美術館の主張する「美」の「価値」と対立しながらそこに立ちのぼることになります。かつて「私は意味の生成を問題にする」と語るコススの意図は、このインスタレーションでも貫かれています。
コススの芸術表現の限界、その後
コススの営みは、一貫して個人の概念世界と逆立し対立する都市の<記号のシステム>の「価値」の体系、構造の解明です。 しかし、その芸術表現は、私たちの知覚–感覚–思考が<記号のシステム>によって<疎外>されている状況を陳述し表明する段階に止まっています。
本来、芸術表現は、表現が成就するほんの一瞬とはいえ、<疎外>の解消をめざすものです。<疎外>の陳述、表明は重要ですが、芸術表現がその段階に止まれば、その営みは社会学的な学問研究の仕事に等しいことになってしまいます。
八〇年代に入ると、コススの<記号のシステムによる疎外>の陳述、表明からより歩を進める一群の女性作家たちが登場します。
彼女たちは<記号のシステム>の記号の表現スタイルをそのまま自己の表現スタイルに反転させます。
「私はメディアに起こっているすべての出来事を理解している」と語るC・シャーマンは、映画のスチール写真の手法で自身の物語の断片を写真に撮り、イメージの記号として<記号のシステム>に差し出します。
J・ホルツァーはニュースの短文の形式で作った文章を電光掲示板に流し、 B・クルーガーは写真とロゴを組み合わせるデザイン表現のスタイルを採用し自己の意図をあらわします。
メディアの表現スタイルを反転させた彼女たちの芸術表現は、いずれも個の表現意図を携えたまま<システム>の記号として流通します。
ホルツァーを例にとると、「私を私の欲望からまもってください」という短文が、天気予報が流れるはずの電光掲示板にそのまま浮かびます。
私たちは<システム>の情報が流れるはずのメディア上で、見事に逆立して浮かび上がる彼女の個の表現に驚かされます。彼女の自己表現の内容もさることながら、私たちに強いインパクトを与えるのは、 <システム>の情報が流れるはずの場所に突如として出現する個の表現のきわだった落差です。
<記号のシステム>の調査のためには夾雑物としてあるため、コススが注意深く除去した自己表現が、そこにはそのままストレートにあらわれています。
コススの<記号のシステムによる疎外>の陳述、表明に止まる芸術表現は、女性作家たちが<システム>の記号を駆使して芸術表現をくりひろげる地平をひらいた段階でその役割を終えています。