このHPは、現代芸術、現代美術(アート)について考えようと開きました。 「日本の洋画家」などというおかしな言い方があるように、日本の美術、芸術は、海外の表現スタイルを受け入れ、それを自らのものとすることによって成立してきています。それはこの国の人々が文化、芸術だけでなく、広く他の分野においてもなしてきたやり方だといえそうです。 現代芸術においては、先行するアメリカ現代芸術のスタイルがそのお手本でした。 無論、まねるということ自体が悪いというのではなく、スタイルの追従に走るあまり、あるいはそのスタイルに独自のニュアンスをつけくわえること、それが独自の表現を生むことだと短絡するあまり、当の表現を個人の時代に対する挑戦のあり様として、社会と表現の関係を深く理解することが後回しにされてきたことが問題といえるでしょう。それが、現在の停滞や後退をないまぜにした「芸術の混沌」の要因のひとつとなっている考えられます。 芸術表現を生むのは作家個人ですが、その要因を差出しているのは時代であり彼(彼女)が身を置く社会です。そこで私たちは、時代と社会の変化に目を向けつつ20世紀のアメリカ現代アートをとらえ直すことから始めました。 20世紀のアメリカ現代アートは、さまざまに花開く現在の芸術表現に対して、アカデミックな領域、意識するしないに関わらず、規範としての位置、を占めていると思われるからです。それは、ちょうどかつて日本が西欧化をめざした明治期にヨーロッパ古典、近代芸術がその規範、手本としてあった構図と似ています。 アメリカ現代アートがもたらしたものは何だったのか? 作家たちは、現代の時代と社会をどうとらえたのか? このような問いに始まる私たちの相互批判が芸術の進展をもたらす足がかりとなることを祈りつつ。
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