高校生ポロックに挑戦

生徒の抽象画実験制作から見えたポロックの表現 

 

この取り組みは、NHK日曜美術館「アクションから生まれた革命~ジャクソン・ポロック~」2011年12月11日放映のために、都立向丘高等学校美術部の生徒によってなされた。美術教師、河瀨曻が指導に当たった。

 

  1. 1.     生徒の抽象画実験制作の試み

(1) 制作の条件

生徒三人には、花や人間などの具体的なイメージは描かないことを唯一の制約とし、その他はまったく自由という設定で抽象画を共同で制作してもらう。

もうひとつ彼らに要望したのは、「限界」を超えて未知の領域に挑むことである。

このあたりが限界、もう終わり…、と普段感じる時点を制作のゴールとせず、可能な限り、見えぬその先を求めて制作を続けてみるということ。この点は、ライブのアドリブ演奏なども例にとり、「挑戦」、「探索」のイメージを膨らませてもらった。

また、生徒たちは事前にポロックの表現や手法についての知識を持っていたので、

あえて、ポロックの真似をするのでなく、自分たちの独自のスタイルを探して制作するようつけ加えた。

 

(2) 制作の条件を設定した理由

生徒たちは都市のシステムが繰り出すさまざまな記号のイメージに囲まれて暮らしている。テレビ、漫画、ゲーム、ポップスター…、そのリアルさが彼らを魅了する。

しかし彼らは、そのバーチャルな記号が虚無であることに(うすうす、あるいはしっかり)気づいている。つまり、彼らの「感性」は、本来の自分はバーチャルな記号によって隠され隔てられてしまっていることを感知しているのだ。

だから、具体的イメージを一時封印して、なおかつ何かを表現しようという条件におかれると、それらがブロックしていた普遍的自己と向き合わねばならなくなる。 

その結果、生徒たちの「感性」は内面の探索をはじめる。

 

ポアリング以前、ポロックは、自然に倣う近代絵画の範疇にある抽象表現に満足できずに苦悩していた。ドイツからアメリカに渡った抽象画の巨匠、ハンス・ホフマンに「もっと自然に即して表現すべき」と忠告され、思わず「自分が自然だ」と叫んだと言われる。

イメージを描くことを捨て、打つ手のなくなったポロックに残されたのは、「感性」を通して自己(無意識-身体=自然)と向き合うことだけとなった。

制作を進めるうち、生徒たちはこの地点に立つことになるだろう。

ただし、ポロックがイメージを捨て去る決意をすることは、いわば画家として存在をかけた後のない地平に自らすすんで立つことを意味したが、生徒たちにとっては、たまたま与えられた課題でしかない。

 

「感性」は人間だれしもが持つ、自己と世界のありようを一挙にとらえる本源的な察知能力である。抽象制作は、その働きの初源性と呼応して進めることにもなる。そのため、制作が進み、彼らが「感性」の初源性に肉薄するにしたがって、個の相違や深度の差はあっても、その表現はポロックと同じ位相にあらわれてくると考えられる。

創造者ポロックの苦闘は、現代の若者によって追体験されることになる。

 

(3) 制作の過程

用意された275×161.6cmのキャンバスは床に敷かれ、生徒たちはそれぞれ思い思いに位置を変えつつ四方から制作する。

 

(a)   ポロックの影響下での各自の試行錯誤

生徒たち三人は、与えられた課題をやり遂げ教師らの期待にこたえようと、緊張しつつも、意欲に満ちて描き始める。

事前の教示もあって、各自は何とかポアリングのイメージを振り払おうと、スポンジにしみ込ませた絵具をたらしてみる、刷毛で絵具をまくように塗る、刷毛から絵具を画面に投げつけるように飛ばしてみるなど、彼らなりの工夫を加えた手法を試みる。

「とにかく形をつくらないように制作を進めたい」、「はじけるような悲しみを表現したい」、「とげとげ感をあらわしたい」など、三人三様の試みは、大画面に対して、部分的な領域への働きかけでしかなく、そのため、彼らの意に反して強い効果をもたらさない。結果に不満を感じる彼らは、それをさらに広げてみたり、あるいは、すぐさま塗りつぶしてみたりする。

彼らはポロックやすでに知る抽象画の影響から容易に抜け出せないであがいている。

この段階では、各自がまだバラバラにそれぞれの目前の領域で制作しているため、画面は三つに分断されている。

   

 

ポロックの影響をいかに脱するかに、三人の意識が集中するあまり、各自の画面への働きかけが部分的となり、画面は明らかに三つに分断されている。

左の部分はイエローグレー、右上は黒、右下はブルーと、使われた色彩からも分断が見て取れる。

(b)   全体を見通す三人三様の試行錯誤

絵具を投げかけ、その結果に満足できず塗りつぶす。さらに他の投げかけ方、塗り方を試みるが、その結果にもあらたな不満が生じる…。

三人は、より確かな手ごたえを求め、手でペタペタと直接画面をたたいたり、スポンジをぎゅっと絞って絵具を撒くにしても、大型チューブから直接撒くにしても、微細に手加減した効果を求めたりと、それぞれがより手ごたえを感じる方法を試行錯誤して見つけ、進むべき方向を文字通り手探りしながら描く。

制作は各自の試行錯誤の連続となる。

こうした手探りの試行をくりかえすうち、より確かな手ごたえを得るには、目前の画面の変転と自らの手先に注意を集中することが不可欠となり、その作業に没頭するあまり、ポロックへの意識は彼らの念頭から遠のいたと思われる。

もはや手法がポアリングかどうかは重要問題でなくなり、独自の手つきでみえない制作の行方を探り始めた内実は重要である。

画面の分断は三人に意識されるようになったものの、それへの働きかけは個別になされるため、分断は意図通りには解消されてこない。画面には「とげとげ感」「はじける感じ」など彼らの求める力感にあふれた箇所も個別に出現する。しかし、

それらは現れては消し去られを繰り返し、ついには濁色に覆われた混沌状態に陥ったり…、と流動的でなかなかこれだというものに落ち着かず、制作は次第に停滞してくる。

各自がそれぞれの「感性」に基づき、思い思いに作業を積み重ねるだけでは、先の展開が望めなくなってきた。

   

各自は画面全体を見通してはいるものの、個々の働きかけのつながりが乏しく、画面の分断は完全には解消できない。

一人が自分の描いた左上の部分が気にいらず塗りつぶす。自分が描き、不備と感じた個所は、自らの感性の呼びかけに応じて、塗りつぶさずにはいられない。自分が何とかしたい、そこからしか先は見えない、という心境のあらわれであろう。

 

(c)    停滞の打開へ向け互いの働きかけを統合する

制作のいきづまりに対処しようと格闘するうち、三人が気づいたのは、彼らは実は同じ方向(多くの部分が重なり合う方向)に進もうとしていたことだ。いわば、異なる楽器を手にして同じ即興曲を演奏していたような状態にいることがストンと腑に落ちたようであった。

ここに至って、バラバラであった個々の働きかけを統合し、画面全体に生起する事態に立ち向かう地点にたったと言えるだろう。

 

画面の分断や混沌状態をどのような技を繰り出して回復を図るか….。

三人には、造形の進展を共通の目標として、お互いに見解を披瀝し、話し合いを重ねたうえで一手を投げかける、というパターンがあらわれた。制作が進展するにつれて働きかけの統合に要する相互の意志疎通が重要度を増していった結果とみられる。働きかけの統合状態を得て、画面は流動性を保ちつつ、確かな高まりに向かって動始めた。彼らにも制作の先が見えてきた感じである。

 

   

三人の意思疎通が図られ、左下の青、上の黄色、右中央から下の赤などが、調和と対立を意識して投げかけられた。

中心の白い円が周囲の流動感の主軸となり、画面に動きと統一感が生まれてきた。右上の空間を深めたいと意見がまとまり、三人はてづかみで黒の絵具を投げかけたりしている。

 

(d)   「完成なき完成」

制作が終局に近づくと、三人の話し合いは一気に高度化し、造形に関する踏み込んだ深い論議を交わすようになった。

今自分たちはどのあたりにいるのか。

直近の投げかけはそれまで積み重ねられた画面に対してどのような意味を持つか。その変化は生かすべきなのか、消去すべきなのか。

その成否の決定を受け、次にくる投げかけは、どのようになされるべきか。

手法、色の選別、投げかける場所、全体の構図をどうするか….。

制作の初期の段階にいた彼らとは明らかに違う、三人それぞれが高い集中力と確かな「感性」の働きをつかんだ者の姿に見えた。

 

この間、作業は進まず、制作は2度目の停滞期にはいったようにみえる。

終局をめざす生徒たちは、彼らなりの最後の一手を長考する。

長い話し合いがなされ、いろいろな手が提案されるが、なかなか実行されるまでに至らない。

最終的に決められた一手は、左手から白の円弧を投げかけ、さらに、中央下から右上方の角に向かって画面を突き抜ける何本かの白い線を投げかける、というものであった。二人が途中で入れ替わって投げかける。

ところが投げかけてみると、そのうちの一本は画面を通りこさず、ユータンして戻ってきてしまった。この結果についても、それはあってもよい、むしろあった方がよい、ということに定まった。

彼らはこの地点まで制作をつめきった。制作時間は約五時間であった。

   

 

左の円弧の投入によって、中心の円に限定されていた運動はさらに広げられた。続けて、白の線が右上に向かって三回投げかけれられた。それによって画面は、基底となる円運動から、さらなる高みに飛び出すかのような動勢を得た。

三人の意見ががこの最後の一手に一致するには、長い話し合いの時間を必要とした。

 

制作後、生徒たちは、「途中でめちゃくちゃになったが、みんなで相談して完成にこぎつけられてよかった」、「いつもと違う方法で制作できてすっきりしました」など、困難な自己探求を限界にまで突き詰めたことの満足感をあらわす感想を述べた。

中の一人が、「こういう表現は終わりがないので、百点満点であり、〇点でもあるが…、半分の五〇点です」と語った。それはまさに、こうした制作行為が「完成なき完成」であること、作品制作としては完成をみたが心的行為としては終わっていないことを示している。

なお、できあがった作品は、彼ら自身によって、「Strange-Asipire」(奇妙な欲望-する)と名づけられた。

 

  1. 2.     生徒の制作から見えるポロックの表現

 

2.1 生徒の制作に現れている表現の本質

生徒たちは課題設定のいわば人為的誘導によって、短時間で、ポロックが表現に向かったのと同様の状態に至った。

そこには、生来の自分に向きあうひたむきな姿がたちあらわれた。

彼らが自律的にその姿勢を保つことで、まさにポロックに迫る表現が生まれた。

 

なぜ、普通の高校生の表現がポロックのそれに近似することになるのか…。

 

彼らが特別な生徒であったのではないか、という憶測は当たらないだろう。

というのは、はるか20年以上前になるが、高校生に同様の課題を与えたことがあった。

少しそれにふれる。

当時、美術の授業は、描写が苦手で絵を描きたがらない生徒が多数派を占めていた。なかには現状に強い不満を抱き、教師と一触即発の生徒も多かった。その対策の一つとして必要に迫られての課題である。

各自が全紙大(760×1080cm)の黒のラシャ紙に水性ペンキを用い、「具体物を描かず、画面に自分の気持ちをぶつけてみる…」という2時間の授業である。

ポロックなど全く知らない生徒たちであったが、その多くは、普段とうって変わり嬉々として制作に取り組んだ。彼らの投げかけはため込んだ怒りを吐き出すかのように激しかったが、ふざけ半分に絵具を画面の外にまでまき散らすのではないかという教師のひそかな心配は杞憂に終わった。

短時間の制作ではあったが、結果、ポロックに迫る表現が多々生まれた。内面の動勢の激しさを感じさせる点では、今回の生徒作品よりも、ポロック的であったといえるかもしれない。(写真参照)

このような事例とあわせ、なぜ、彼らの表現がポロックのそれに近似するのかを考えたい。

 

 

 かつての生徒作品‐1  

 

    かつての生徒作品‐2          

 

 

 

   今回の作品「Strange-Aspire」

 

生徒たちは効率優先の記号に囲まれた現代の「疎外」の状態にある。

それと気づかずとも、生徒は無意識レベルで「疎外」の状況を深くとらえている。イメージを描かずに、彼らが自己の内面に向きあって表現する時、「疎外」から自らを解き放とうとする無意識レベルの動勢があらわに出現する。生徒たちの「疎外」の状態は、時代や社会が異なるとはいえ、ポロックが立ち向かったそれと重なるものであろう。

また、「感性」の本源的働きによって、内面、無意識レベルの動勢を画面に写像するというプリミティブな手法もポロックと同様である。そのため、おのずと同じ位相に表現が出現すると考えられる。

孤立した風変わりな表現とみられがちなポロック芸術だが、実は、私たちの誰にもつながる普遍性を帯びた、いわば、開放系の表現領野であると言える。

 

今回の生徒の実験制作を、完全ではないものの、表現の初源的な構造が重なるサンプルとして、以下、そのプロセスを振り返りながらポロック芸術のあり方の一端を類推してみたい。

 

 

2.2    生徒の制作の内実

 

(1) ポロックの影響との戦い

教師の指示によって「ポロックの真似にならない」表現を求められた生徒たちは、

ポロックの真似を超えた抽象表現の手法を見つけようと、さまざまな手法を試してみるが、容易には展開は開けてこない。

こうした生徒たちの模索は、抽象表現に至ったものの先の展開が見いだせないポロックが、ピカソやミロの表現に惹かれ、それを超えようとして苦闘する姿をほうふつとさせる。

既成の表現を強く意識しそれを超えようとしても、その影響下にあるうちは、模索は容易に身を結ばない。ポロックとピカソやミロでは、時代性や社会に対する立ち位置が違い、特に、抱く「疎外」の状態が異なる。

生徒の教師による動機づけと同様に、ヨーロッパの巨匠に並ぶ絵画を生もうとするポロックの制作は、まだ自らの表現の根源と確かには結びついてはいなかったと考えられる。

 

(2) 試行錯誤によって独自のやり方をつかむ

ポロックの真似を超えようとする生徒たちは、次第に目前の画面の変転とそれを生む自らの手先の調整に注意を集中することに手いっぱいの状態となる。

その自然な成り行きによって、彼らの「感性」の関心は外部の干渉や夾雑物を離れ、自己と画面、つまりは自己の内面に密に向きあうことになった。こうした、自らに深く根を下ろした試行錯誤を繰り返すことが表現のあらたな展開を生むための必須の道すじと考えられる。

生徒たちは、画面を引っかいてみたり、ぺたぺたと手で叩いてみたり児戯にも映る行為(それは触覚をも動員した実に重要な行為であった)を含む試行錯誤を繰り返し、自分たちそれぞれの手法を確かなものにしていった。その経緯は、まさにポロックが地を這うようにポアリングに至り、その表現を深める道すじをたどるかのようであった。

生徒たちは、自己との対話にエネルギーを傾注することによって、ポロックの影響を離れ、かえってポロックに近づいたともいえよう。

 

だが、この段階では、それぞれの制作作業はまだ個々になされていて関連が希薄であり、そのため画面の分断を解消するには至っていない。

 

「感性」のもとでの意識と無意識の交互作用

ポロックは「Possibilities」誌1947-48に次のように自身と絵画の関係を語っている。

「私は変更することやイメージを壊すことなどを恐れません。なぜなら絵はそれ自体の生命をもっているのですから。私はそれを全うさせてやろうとします。結果が駄目になるのは、絵との接点を失った時に限られます。他の場合には、純粋なハーモニー、楽々としたギヴ・アンド・テイクが生まれ、絵はうまくゆきます」

「ジャクスン・ポロック」エリザベス・フランク 石崎浩一郎・谷川薫 訳1989美術出版より抜粋

 

彼がここで言いたかったのは、絵画の制作過程における無意識領域とのコンタクトだろう。なぜなら、物質にすぎない画面に自らの内面を投影し「絵それ自体の生命」を感得するのは無意識領域につながる彼の「感性」に他ならないからだ。とすれば、それはまさに無意識領域との「ギヴ・アンド・テイク」であるだろう。

ここでは、混同を避けるために「意識と無意識の交互作用」と呼ぶことにする。

 

制作において「意識と無意識の交互作用」はどのように働くのかを考えてみる。

 

画家の意識は、身体を通し、技を画面に向かって「投げかけ」る。(図-1参照)

「投げかけ」の結果を受け止めた無意識レベルが多層的な反応を繰り出す。

この多様で不定形な反応を受け、意識レベルの「思索」がその内実を検討し結果を統合して、一つの判断を打ち出し、次の「投げかけ」につなげる…。(図-2参照)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

画家が画面に技を投げかけた結果は、無意識レベルに受容され、そこから多層的な反応が繰り出される。

思索はそれを一つの塊として受け止め、投げかけに対する結論を打ち出し、次の投げかけに至る方針を得るべく考察する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

無意識は一般には、単一構造とみなされているが、むしろ、身体的、動物的反応に基づく層にはじまり、より理性的な経験によって形成される層にいたる、さまざまな層からなる多層構造をなしていると考えられる。

したがって、投げかけの結果を受けた各層は、種々の反応を呈して思索に働きかける。このため思索は、時に偏向したり、堂々巡りに陥ったりと変化し、思索自体からは理由のうかがい知れない、複雑な動きをすることになる。

 

「意識レベルの投げかけ」「思索」は帰ってくる無意識レベルの反応によって、いわば、その推進力を得るのである。ポロックが「絵自体が生命を持つ」という所以である。

このような意識と無意識の交互作用の基底で、「感性」がそれぞれの過程のセンサーとして、またコネクターとして働き、作用を先導しつなげていく。

 

「感性」は、もとは内臓の感覚から派生し、人類の長い経験や学習から進化をとげた無意識的、本源的能力であると考えられる。

その働きは、言葉や論理を超え、自己とその環境のありようを一挙に把握する。

また「感性」は、精神、いわゆる頭脳と身体にまたがってあり、すそ野を無意識領域に溶け込ませていることから、無意識領域への通路をも果たすのである。

 

制作は意識レベルでの「投げかけ」「思索」の繰り返しとなる。みてきたように、それを背後で支えるのが意識と無意識の交互作用であると考えられる。

制作がいわゆる、「乗った」状態になると、的確な「投げかけ」に対して「感性」の反応も強く、よしとする「思索」の判断は瞬時に下され、すぐさま次の「投げかけ」につながり、流れるように「楽々と」交互作用は続けられていく。映像に残されたポロックの制作が(自然なものであるとして)それに近いだろう。

 

(3) いきづまり打開へ「感性」の作業を統合する

生徒たちは、ようやくその制作が共同制作であることが腑に落ちた状態に至った。

この段階で、三人の異なる「感性」の作業を総合し、制作にあたることによって、独自の表現手法のバリエーションを得たこと、タフな「思索」による検証の過程を共同作業とすることによって、ポロックの表現に肉迫する地平にまで踏み込んでいった。

「感性」、性格や価値観も異なる三人が、ぼそぼそと話し合いつつその作業を進める姿は、ちょうど画家個人が極度の集中の中で、無意識レベルの多面的、多層的な反応、愛憎、好き嫌いのように相反してわきあがる情動的反応や、異なる体験によって相違する価値観の相克などが繰り出す無言の押し上げに耳を傾け、打つ手の按配を熟考し、自己統合をかりながら制作をすすめる姿と重なってくる。

 

ここで、生徒の共同作業となった制作の内実に分け入ってみたい。

一人の制作行為をみるとき、なされた「投げかけ」に対して、「思索」が無意識レベルの反応を吸い上げ、次の投げかけの方針を決定する。しかし、「思索」はそのすべてを救い上げられるわけではなく、無意識レベルの反応と決定された方針のあいだにはブレが生じる。

この心理的な残滓、「うーんなんだかちがうなぁ」という意識を、さらに「投げかけ」「思索」を繰り出すことによって、解消してゆくのが制作であるともいえる。

共同で制作を進める場合は、「思索」の過程に話し合いが加わり、「思索」はいわば、二重化される。

三人の話し合いは、個人の「思索」の結果を持ち寄り、言語を通してなされる。

この際、各自の言語化作業から抜け落ちる要素があり、さらなるブレが生じる。

これを可能な限り言語で救い上げ、討議の俎上に加えつつ、それぞれの異なる見解を吟味し、折り合わせて一つの結論を得る…。(図-3に詳述)

三人の異なる「感性」の間でこうした微妙な(ここでは起こらなかったが、時には激しい論争をともなう)調整をおこない、もっとも妥当だとする一致点を見出すに至るには多大な時間とエネルギーを要するのである。

 

 

生徒A.B.Cの話し合いは、言語を通しててなされる。

図では、煩雑さを避けるため、生徒A.B(以下ABと表示)のみの詳細を示している。

まず、Aのうちに、画面からの受容を受けて形成された概念像a1が言語化されBに投げかけられる。つまり、言語の「網」をくぐることによってしか、概念像a1はBに伝わらないのである。

Aの言語の投げかけを受け、Bの中に生じた概念像がb1である。その結果がBの無意識に受容され、思索の過程に働きかける。思索によって良しとされれば、BはAに承認の言葉を投げかける。

だが、違和感が生じたとき、Bはあらたな概念像b2を作り上げ、やはり言語を介してAに投げかける。

その結果がAの無意識に受容され、思索を経て中に立ち上がる概念像がa2である。

このように話し合いは、進む。

話し合いは、Aの言語化の際に生じるブレ、Bの言語理解の際に生じるブレ、いわば二重のブレを避けることができない。Cにも同様の事態が生じる。したがって、生徒A.B.Cの話し合いは、それぞれ回をかさねるごとに生じる二重のブレを含みながら、ブレを修正しつつ互いの思い描く概念像を想起する精度を上げ、画面のさらなるありよう探る作業となる。

 

(4) 「完成なき完成」

この時期は、現象としては停滞ではあるが、その内実は一回目の停滞期とは明らかに違っている、画面に具体的な変化はないものの、背後では、制作の要となる「思索」が活発になされている。

停滞とみえる要因は、話し合いによる「思索」が長時間を要したこと、最後の一手を決める局面ではさらに長考を要したことである。

たとえば、作家個人の場合、こうした「思索」の状態は外見からは理解が及ばない。したがって、制作の停滞は必ずしも否定的なものばかりとは限らないだろう。

 

生徒の話し合いによる「思索」のあり方をみると、画家個人がなす「思索」においても、多層的、相反的、流動的な無意識レベルの反応、それらが鋭く強烈であった場合は特に、それらを統合する作業は一筋縄ではいかず、いわば、苛烈な戦いともいえる作業になるだろう。

そこから逸脱するブレをも再びひき戻し、作業を続け、結論を導きだすには、生徒の話し合いにも似た、「思索」の多層化を必要とするかもしれない。

 

  1. 3.     芸術表現における思索

 

3.1                 ポロック芸術と思索

たとえば、ポロックの「秋のリズム」において、黒の投げかけによる層、茶のさらなる動きを誘うような層、黒と対立する白の層、それぞれの位相への転位が際立つ表現を成立させるには、各層の間に、また一手一手の間に、相当の長い、あるいは極度に集中した、熟慮、「思索」の過程を要したことが想像される。

無意識レベルの奔放な流動性を確固たる表現として画面に定着させるには、身体によるポアリングの技の熟達のみでなく、精神、頭脳による高度な造形的思考による、同等な労力(あるいはそれ以上の)が必要だったに違いない。

ここから見えてくるのは、ポアリングの間に冷徹に人知れず深い「思索」を繰り広げるポロックの姿である。

「感性」に励起された「思索」によって、手探りで地を這うような彼のポアリング表現は「自己探究」の表現に押し上げられていく。

 

だが、無意識レベルの多重な層からの反応は種々に変転し、時とともに流動する。そのため、それを受けてなされる画家の思索は、いくら積み重ねられても、求める表現につきまとう不可解さを払しょくするに至らない。それは、時に画家が思わず「こがれは絵画だろうか」と漏らすほどに疑念が膨らむ。

画家はそれを持ちこたえ、なおもあるべき表現を求め続ける。

 

3.2                デュシャンの表現にもつながる思索の過程

たとえば、「思索」の人デュシャンの手になる作品に、既製品の便器を使ったレディ・メイド「泉」がある。意識レベルの「思索」の面が強く打ち出された作品である。

このようなポロックとは全くスタイルが異なる表現においても、「思索」の過程において、意識と無意識の交互作用が頻繁になされ、無意識の多重な反応が取り込まれていると類推される。

彼の長い時間をかけた制作行為は、物質である便器に、いわば観念上の技として思考を「投げかけ」、返る無意識レベルの反応を動力として「思索」を繰り返すことによってなされたともいえるだろう。

デュシャンが打ち出す観念操作は、現代を生きた彼の無意識の動勢が反映され、「感性」によって一つの作品として統合されているがゆえに人の心をとらえ得る表現となっているとかんがえられる。

 

ポロックにとっては、表現の探究は「完成なき完成」以外の終わりはなかった。

彼は、ポアリングによる「達成」「突破」にも充足せず、突き動かされるようにさらなる模索に向かった。

記号による効率優先の現代にあって、ポロックはあくまで人間精神の開放に向かう表現を求め続けたといえるだろう。

生徒の制作後の感想、「こういう表現は終わりがないので、〇点…、半分の五〇点です」は、はからずもポロックの果てしのない「自己探究」のありように通じている。

 

4.余談 ポロックと教育

生徒たちは、自ら感じ、考え、自ら生きる道を拓く力を持っている。だが、その能力が自然と発揮されるに至るには、おそらく長い時間を必要とする。実際、勉強に意欲がわかず、無為に若い時期を過ごしてしまう者も多い。

教育でなすべきことは、若い適切な時期に、自己と対面し、自らの生きる力を駆動させる機会を与えることではないだろうか。

 

20年以上前の高校生に見られるように、彼らにポロック的表現をやらせてみたとき、意識下で形を成さなかった不満や怒りあるいは喜びがあたかもポロックの表現と同じように噴出した。

このような手法は、とざされがちな心の内のありようを吐き出させ、しかもそれを自らが客観視することから、自身を深く知るきっかけになるものだと考えられる。

 

今回の実験制作においては、共同で作業に当たるため、話し合いによる互いの意思疎通が不可欠となった。その中で彼らは、互いの内面の表出を注意深くとらえ、その理解の進展に呼応しつつ自らの表現を創出していった。

こうした共同の表現作業は、自らを知り、相手を知るうえで、有効な手段の一つともいえる。

また、表現に向かう互いの感性が充分に働き切ったとき、そこに生じる深い充足感を味わうことは、まさに根源的な生きる喜びの一つを得ることでもあるだろう。

こうしてみると、表現を通して自己と、また他者と向き合う機会を与えることは、教育にとっても大きな意義があると思う。