「箱に封じこめられた生」ドナルド・ジャッド 

Donald Judd

Donald Judd 1928-1994

1928
ミズーリー州に生まれる。
コロンビア大で哲学、アート・ステューデンツ・リーグで絵画を学ぶ。
1950~
画家として活動始める。
1957 29歳
初の個展。コロンビア大再入学し、美術史を研究する。
評論家活動はじめる。
1960頃
絵画から立体に移行する。
1965 37歳
批評文「スペシフィック・オブジェクツ」を書く。
1984 56歳
新表現主義の表現としての質の低さを批判する。
1987 59歳
テキサスで巨大なプロジェクトを展開する。
1994 66歳
死去。

ジャッドのアトリエ

ジャッドのアトリエ。家具も作品と同じ様に制作された。

「無題」1965

「無題」1965

「無題」1965

ジャッドは、抽象表現主義の情念の混沌とした世界の表現に反対し、その対極をめざします。 彼には画家が思うにまかせて、感情や情念を画面にぶつけるように絵具を塗りたくる表現は、非理性的でがまんのならないものでした。
現代に至って人は理性を放棄したのか?
理性こそ我々の存在の中心にすえるべきものではないか?
合理主義者のジャッドは、混沌の追究に向かって走りだした現代の美術を再び知の領域に引きもどそうとするのです。活動歴としては彼の前世代に当たるラウシェンバーグやジョーンズは、絵具の激しいタッチを精神の至高の記号として抽象表現主義から受け継ぎ保存しています。

ところが、ジャッドは絵具の激しいタッチを非理性的要素だとして排除します。さらに歩を進める彼は、ついには、絵画表現を非理性の表現として否定するに至ります。
壁面に等間隔に規則正しく取り付けられた七つの金属の箱。 そのぴかぴに磨き上げられた表面は、芸術作品に何か情感を求めようとする私たちの視線を冷たくはね返します。 私たちがそこに何か意味を見い出そうとしも、箱の中身は箱は文字どおり空っぽです。
職人に発注して作らせたそれらの箱は、芸術作品に期待される意味や内容をあらかじめ拒絶したところに存在しています。 ジャッドは芸術表現から、見る人の情感を刺激する意味や内容を次々に排除していき、表現が辛うじて成り立つ極小にまで絞り込みます。その結果がこの規則的に並んだ金属製の箱です。
都市の事物を素材にした現代の表現のなかでも、提示する要素と意味を最小限に絞り込むジャッドの芸術表現は、ステラの絵画作品と並んでミニマル・アートと呼ばれます。

抽象表現主義の地平を乗り越える

一九五〇年代から画家として表現活動を始めたジャッドの行く手に立ちふさがっていたのは、抽象表現主義の表現世界でした。その中心にあったポロックは、絵画からイメージを追放し、表現性のみを極度に高めた表現を展開していました。その表現性とは、イメージ化されない情念的な内容を、絵具やカンヴァスの事物の様態に過剰にまとわりつかせたものでした。抽象表現主義にあっては、事物と情念(精神)の強度が渾然と一体視された表現が繰り広げられていました。

抽象表現主義の画家たちがよりどころとしたのが無意識世界です。無意識の領域は、フロイトが「混沌、沸き立つ興奮に充ちた釜」と呼んだように、時間の経緯の結果を被らず、生をうけてから現在に至るまでのすべての心的要素が渾然と融けあい、未分化な状態にあるとされています。 現代都市空間に身をおく抽象表現主義の画家たちは、無意識の「混沌、沸き立つ興奮に充ちた釜」に自らの疎外を映し、しゃにむに事物と精神の融合を求めました。
しかし、合理主義者のジャッドにとっては、画家たちがまるで力こぶを競い合うかのように情念の強度を競う光景は、むなしくもおぞましい芸術家部落の内輪の競い合いにみえました。

ジャッドには、現代の科学・技術による事物の強度(リアリティ)が、抽象表現主義者らの情念の表現を上まわっていることはすでに自明です。 彼らの情念の表現は、時代に対する疎外の率直な感情的表現ではあっても、時代そのものをとらえる営みとは言えないものでした。 時代は事物の効率と機能の追究を押し進め、都市空間をかつてない規模で拡大させています。 ジャッドには、知の営みとして時代の全容をとらえ、新たな芸術表現とすることが問題でした。

ジャッドの見た都市

ジョーンズやラウシェンバーグの後を受けたジャッドは、彼らと同じく、現実の都市空間に目を向けることを表現の突破口とします。しかし彼は、ジョーンズやラウシェンバーグらのように現実の事物を直接選び取らず、都市空間をさらに還元しその基本構造を探し求めます。彼の営為は、かつてモンドリアンが科学の要素還元に倣い、自然のあり方を還元し絵画の抽象化を進めた方向の延長上にあります。

Piet Mondrian

Piet Mondrian,
Broad Way Boogy-Woogy
1942-4

モンドリアンが自然の空間を二次元の平面に還元したのに対し、抽象表現主義によって絵画が終わったと考えるジャッドは三次元の領域を選びます。 都市の空間を埋めるビル群は、水平垂直の六面からなる直方体や立方体の箱型の空間の集合です。ジャッドは三次元の箱型を都市空間から抽出した基本要素と考えます。 彼はその箱形を最小限の芸術表現として提出します。

画材がすでに持つ「ある質的価値」

現代の都市空間を箱型の立体に還元したジャッドは、その箱型をつくる新たな素材に思い悩みます。 現代都市のなかでは、システムが生むさまざまな素材が実用の事物の強度と同時に、記号の担い手としてその強度を競っています。彼は芸術の素材について次のように述べています。

「油絵具とカンバスは、商業的な塗料や、マテリアルの色彩や表面(特にそのマテリアルが三次元で用いられるとき)ほど強くない。油絵具とカンバスは見慣れたものであり、矩形の面と同様、ある特定の質的価値をもち、限界をもっている。この価値がとりわけ芸術と同一視されているのである」ジャッドが1965に書いた文「引用の織物」宮川淳 筑摩書房1975.

今や油絵具とカンバス自身が、すでに表現の「質的価値」と同一視される、とするジャッドの指摘は重要です。その指摘は、油絵具とカンバスという表現用の事物を使うこと自体が、その表現される内容の価値をあらかじめ決定づけてしまう現象を正確に言い当てています。
しかし、彼の指摘は現象面の理解に止まっています。ジャッドは、画材と他の工業製品が並列に置かれ、事物としての強度を比較されるようになった原因をそれ以上探りませんでした。私たちの理解では、彼が指摘する現象は、事物の効率を追究する現代都市が記号のシステム化をさらに進めたことから生じています。

すべての事物を機能的な記号とみなす都市の<記号のシステム>は、無論、芸術も一つの記号の体系とみなします。そこでは、ジャッドも指摘するように、芸術を構成する事物、絵具やカンバスも、他の事物と変わることのない事物とみなされ、看板や建築素材と同列にその機能的な強度を問われます。
都市の<記号のシステム>は、画家が何を描くか以前に、画材という事物の記号性の面から絵画の「質的価値」の範囲をすでに定めてしまっています。したがって、画家の描く内容の価値は、彼がどのようなものをいかに描こうとも、そこに想定された「質的価値」の範囲内に落ちつくことになります。

スペシフィック・オブジェ

Untitled

Untitled,1987,
25.4×101.6×25.4cm.

ジャッドのspecific objects 金属製の箱に彩色したものは、
いずれも「無題」というタイトルがついてる。


ジャッドは、芸術表現をあらかじめ「質的価値」が確定されている記号の領域から解放することを考えます。彼は、芸術の「質的価値」に結びつく通常の絵画や彫刻の材料を避け、それらから遠く実用の領域にあってその均質な強度を誇る金属板を素材として選び、職人に箱形の基本形を作らせます。「私は<秩序>と<構造>という言葉を放棄した。これら二つの言葉は、なにかが形成されるということを意味している」と語るジャッドは、もはやキュービストたちやモンドリアンのように基本要素を駆使して造形を試みようとはしません。なぜなら、造形された作品は、すぐさま、<記号のシステム>から、かつての芸術と同じ範疇の記号とみなされるからです。 そこで彼は自らの箱型構造物をただ規則正しく並べるだけに止めます。ジャッドは、自らの箱型構造物を、近代の造形に属さないという意味をこめて<スペシフィック・オブジェ>と呼びます。
しかし、皮肉なことに、ジャッドの<スペシフィック・オブジェ>は、彼が放棄したはずの<秩序>と<構造>の表現そのもののように見えます。 かつての造形を排し、基本構造物を規則的に並べるだけに止めた彼の芸術表現は、近代の表現を振り切ろうとする彼の意に反して、都市の秩序の模型を提示する段階に止まっています。
ジャッドは、芸術の記号性から完全に切り離された、全く意味の空白な新たな領域をひらくことをめざしたはずでした。 ところが、 <都市の記号のシステム>は、 彼の<スペシフィック・オブジェ>をすぐさま芸術の記号の新種としてミニマル・アートと名づけ、彼が組み込まれることを拒否したはずの記号の体系のなかに位置づけました。 ジャッドの思惑が外れたのは、先にもふれたように、彼の考えが
<記号のシステム>の働きをとらえきる射程を持たなかったことによっています。

80年代アートへの批判

五〇年代の後半から、批評家としても活動していたジャッドには、次のような文章があります。

「・・・過去五〇年にわたり、新たに登場するアートの質はつねに低下してきた。それにはいくつかの理由が想定されうるが、この間の事情を根底から解き明かすものはない。一流のアーティストと呼べる者はほとんどひとりとしていないのである。これと同様に四〇年代の後半から五〇年代の前半にかけて、そして五〇年代後半から六〇年代初期にかけて、なぜあれほど多くの有能なアーティストが出現したのかも説明がつかない。(中略)シュナベールはバゼリッツよりましだが、それも「抽象」の瓢窃にすぎない。二五年前には、シュナベール以上のアーティストが百人はいたはずだし、またその多くは今でも存命中ですぐれた作品を制作している。(以下略) 」
Donald Judd, A.A.84,oct[特集]現代美術-ウォーホル以後,美術手帳.1988.10.

造形が放棄された新表現主義の画面

確かに、ジャッドの言うように、シュナベールやバゼリッツの表現は二〇世紀初頭の表現主義 のスタイルにきわめてよく似かよっていて、一見したところ、表現主義の単なる焼き直しのようにみえます。しかも、ジャッドが憤慨するように、その表現はかつての表現主義の絵画にくらべて、造形としてまとまりが悪く、散漫、投げやりで低俗さが前面に漂っています。
新表現主義の表現とかつての表現主義との位相を隔てるのは、実はジャッドが指摘する新表現主義の「質の低さ」です。ジャッド自身の表現から話を始めると、彼が発見した基本形を使って造形することをせず、ただそれらを規則正しく並べたのは、自らの芸術表現が、かつての近代芸術の記号と同列に見られることを避けるためでした。 新表現主義の作家たちは、ジャッドが造形を放棄したのと同じ理由で、造形を放棄し散漫で粗野な画面を残します。
*彼らの手法は日本でもすぐに流行した。「ヘタウマ」と言われるように、巧みな技術で描かず下手に描くことが、現代ではかえって効果的な表現だとしてもてはやされた。

ジャッドの誘い出された憤慨にこそ、新表現主義の作家たちのねらいがあります。
すんなり芸術とみられる絵画を描けば、自分たちの芸術表現はたちまち<記号のシステム>のなかに埋没してしまいます。彼らにとっては、造形が放棄され、直ちに芸術とは見えにくい「質の低さ」こそが表現の強度なのです。<記号のシステム>のなかでは、絵画は記号として扱われ、あらかじめ「ある質的価値」を保証されています。
新表現主義の作家たちによって「質の低さ」を担わされた絵画の記号は、保証された芸術の価値に抗い、記号の意味と価値のオーダーをかき乱すのです。例えば、ジャッドの反応にみるように、彼らの芸術表現は<記号のシステム>に順応した私たちの感覚を逆なでしながら、時代の無意識の暗部を指し示ています。

バゼリッツのさかさま絵画

*バゼリッツのさかさま絵画
「パストラーリ」Georg Bazelitz, 1986, 330.2×330.2cm. バゼリッツは自分の描いた作品を逆さまに展示し、作品が直ちに芸術の記号と見られることを避けようとする。


私たちの日常は、機能と効率の絶えまない上昇をめざす<システム>の幻想に包まれています。ジャッドが彼の芸術表現を展開するのは、この流れのうえです。

「法悦のフランチェスカ」 J

「法悦のフランチェスカ」
J.シュナベール1980, 243.8×213.3cm

ところが、新表現主義の作家たちの表現は、絶えまない上昇をめざす<システム>の幻想と全く反対の方向をむき、生の初源の情念の混沌に逆行します。
彼らは、効率や機能に還元されず、都市の進化から取り残されていく私たちの無意識の暗部を最も重要なものと考え、そこに焦点を当てています。<記号のシステム>の価値の体系に対して、ジャッドは知を象徴する合理的な幾何形態の表現に向かいましたが、新表現主義の作家たちは反対に、打ち捨てられた「質の低さ」のなかでうずまく情念の表現に向かいます。両者の営みは、ちょうど背中合わせに時代の流れのなかにありました。

絵画の終りから出発しないジャッドの批評

ジャッドは自身が抽象表現主義以降、絵画は終ったという認識から出発しながら、先の批評では、戦前の近代絵画に属する表現主義の表現と八〇年代に登場したシュナベールやバゼリッツをはじめとするの新表現主義の表現を同列に置き、そのまま比較しています。しかし、私たちがみてきたように、近代の芸術と現代の芸術表現とは、ポロックを分岐点にして位相を異にしています。
ジャッドが「新たに登場するアートの質はつねに低下してきた」と憤慨する根本の原因は、本来異なるはずの、近代表現と現代の芸術表現の位相を混同するところにあります。彼の批評にもみられるように、絵画の終焉は批評家たちによって度々センセーショナルに叫ばれていますが、近代と現代を隔てる抽象表現主義以前と以後の断層、位相の違いは必ずしも明確に示されてはいません。私たちの理解からは、現代の芸術表現はポロックの表現を転換点として、近代表現とは異なる位相の上に成立しています。
同じカンヴァスと絵具を使った「絵画」表現ではあっても、近代以前の絵画の終焉から始まった新表現主義の「絵画」は、成立する経緯も意味あいをも異にする現代の芸術表現の位相にあり、かつての表現主義のそれとは単純には比較できないはずのものです。

ジャン=ミッシェル. バスキア 「消防士」

ジャン=ミッシェル. バスキア
「消防士」1983

*街の落書きアーティストから出発したバスキアは、アカデミックな表現を無視し、落書きの持つ自由度をそのまま絵画に持ち込んだ表現を繰り広げた。


ジャッドは抽象表現主義以後の絵画の終焉の認識から制作を展開しながら、彼の批評がそこから出発しないのは不合理という他ありません。彼には、科学技術の進歩と同伴し同じ進歩と発展の上昇カーブを描かこうとする、言わば発展の幻想が根強くあります。 彼はその幻想のうえに立って都市と芸術の現象面をとらえます。その姿勢が彼の営為の根本的な欠陥となってあらわれます。

現代美術の位相

ここで、ポロック以後の表現の位相をもう一度整理してみます。
抽象表現主義の芸術表現が古典、近代と続いてきたヨーロッパの伝統的な芸術表現の終着地点です。
ポロックの情念の表現は、精神が直接物質の強度にあらわされ、精神イコール物質とする表現の限界点に至りました。ポロックによって、イメージが排され極限にまで高められた絵画の表現性の先には、現実の事物の地平がひろがっていました。
ジャッドが、画材と工業製品が強度を比較されると指摘したのはその地平に他なりません。以後、現代の芸術表現は、それが過去の「絵画」の形態であうと現代のパフォーマンスやインスタレーションであろうと、いかなる形態の表現を取ろうとも、現代の物質世界の地平で概念と事物の関係を問い直し、新たな関係をさぐることを芸術表現の本質とする位相に移ったと考えられます。

記号のシステムと対立する現代美術

現代の芸術が概念と事物の関係を問い直そうとする時、そこには都市の事物と記号のあり方が視野に入ってきます。
<都市の記号のシステム>が、事物を実効的な機能から記号とみなすのは、事物と概念のあり方のひとつに過ぎないはずです。しかし、現実には、私たちの日常のほぼ全域はその一つの事物と概念のあり方の体系に委ねられています。その現状に対して、現代芸術の営みは、私たち自身のつくり出す事物と概念の関係のうちに世界をとらえなおそうとする営みです。つまり、芸術表現が事物と概念の関係を追う限り、現代美術の営みは<都市の記号のシステム>と対立する関係にあります。

都市の記号を芸術の記号にする表現

現代において、イメージの記号を占有し操作しているのが都市の<記号のシステム>です。 芸術を含むすべてのイメージはその体系下にあります。 <システム>は新たなイメージを取り込み、 絶えずイメージの記号のオーダーを再編し流通させるサイクル的な運動です。長く命脈を保つイメージの記号は、再編流通のサイクルの中で何度も繰り返し登場します。逆に言えば、イメージは<システム>再編流通のサイクルに乗って何度も繰り返し使われることによって生き長らえます。
この事態にいち早く気づいたのがウォーホルでした。 彼は<都市の記号のシステム>から取り出したイメージの記号を再提出し自己の芸術の記号とします。 さらに彼は、<システム>の再編流通のサイクルを真似、一旦作品化したイメージの記号を何度も繰り返し使い、膨大なバリエーションを生みます。
ウォーホルの繰り返しの表現は、人間の手を介在させた痕跡をわざと残すことによって、同じイメージの記号の繰り返しでありながら辛うじて個別の作品としても成立しています。 彼の手による版のずれが<システム>の機械的な繰り返しのメカニズムをあからさまにする批判の表現になっています。

*くりかえされる表現
かつての芸術表現を新たな表現の素材とすることは、古典においては、弟子が師匠の作品から学ぶ修行の一環としてあった。近代芸術においてはピカソが全く異なった技法で盛んにおこなった。
現代では、ウォーホルやリキテンシュタインが古典的な名画をそのまま素材として用いる表現 がある。その後新表現主義の作家たちが表現主義スタイルの再提出を繰り広げる。 

記号の記号化

ウォーホルが彼の芸術表現でなぞってみせたように、都市の<記号化のシステム>は、イメージの記号の再編流通のサイクル、記号の再記号化を繰り返しさらに完備したシステムをめざします。<システム>の完備が進んだ八〇年代には、芸術の記号のひとつ表現主義絵画を再度自己の芸術の記号として提出する人たちがあらわれます。
ジャッドが「質の低下」を嘆く、新表現主義の作家たちがそれです。 彼らはもとの表現主義絵画との差異を、作品の巨大さと、造形を放棄した描写の稚拙さで示します。 ジャッドは彼らの芸術記号の再記号化の動向を視野に入れず、直接作品を比較するためその質の低下を嘆きます。新表現主義の画家たちは、<記号のシステム>のイメージ記号の再記号化運動のなかに身を置く表現だと考えられます。
彼らの表現がいかなる疎外に裏打ちされているかは別に問うとして、ジャッドは<記号のシステム>のあり方に対する彼らの姿勢こそを批判の対象にすべきでした。

荒野のユニット

八〇年代のジャッドは、テキサスの平原に設置したコンクリートによる巨大な作品を制作します。かつて、現代都市空間の模型としてビルの壁面に取り付けられていた金属の箱型 <スペシフィック・オブジェ>は、所とスケールを変え、自然の原野を背景に巨大なコンクリート製で制作されます。ところが、それらは建築の予定が中止になり、原野に置き去りにされた巨大な建築ユニットのように見えます。

テキサスのプロジェクト1987

テキサスのプロジェクト1987

テキサスのプロジェクト1987

テキサスのプロジェクト1987


都市の模型であることを免れるためにスケールを求めた彼の<スペシフィック・オブジェ>は、今や都市の断片と化しています。 原野に置き去りにされた巨大な都市の断片、それは自然と都市のあいだでついに自らの存在を見い出せない芸術家の位置を象徴的に示しています。スケールを巨大化された都市の模型は、現実の事物(のスケール)に限りなく近づき、ついに単なる都市の断片と化すのです。

ジャッドの限界

ジャッドがめざしたのは、モンドリアンが試みた還元をさらに高次にすすめ、 現代都市そのものを対象化した芸術表現をくりひろげることでした。
しかし、都市の建造物という事物の形態から出発するジャッドの還元は、モンドリアンのそれと同様の欠陥を含んでいます。ジャッドの表現が都市の模型の提示に終わってしまうのは、彼が科学・技術の進歩の方向にのみ目を向け、現代都市の疎外の認識を深めなかったことに原因があります。
現代都市の進化を信奉するジャッドは、その結果、自身はそれと意識せずに、 都市の<記号システム>の内側で制作をくりひろげました。 それ故、彼が、都市の模型と断片を示す以上の事物と概念の関係を表現することはついになかったのです。