「メディア上のインスタレーション」 マルセル・デュシャン(前編)

Marcel Duchamp 1887-1968

Marcel Duchamp1887-1968

1887
Blainville, Normandyに生まれる。父は公証人。
兄に画家ジャック・ヴィヨン、彫刻家デュシャン・ヴィヨン
1902 15歳
絵を描き始める。
1905
パリに出、兄たちと合流。アカデミー・ジュリアンに通い、アカデミックな画家養成法を軽蔑する。
1912 25歳
「大ガラス」の着想を得てノートを作り始める。
1913
「階段を降りる裸体No.・2」アーモリーショーで話題になる。
最初のレディ・メイド「自転車の車輪」をつくる。
1915 28歳
アメリカに渡る。「大ガラス」制作始める。
1923
「大ガラス」未完のまま制作終える。
以後芸術活動を放棄したとみなされていた。
1927
リディ・サザラン=ルヴァソールと結婚。
1932
チェスに没頭する。
1939
「大ガラス」のノートを複製したグリーンボックスを制作する。
1954
67歳 アレクシナ・サトラーと再婚。
1968
死亡。遺作を制作していたことが発見される。
1969
遺作、フィラデルフィア美術館に常設される。

プロペラに飲み込まれた芸術

デュシャンに近代芸術からの転換を促したのは一個のプロペラでした。 時は二〇世紀の始め、ブランクーシ、レジェらと航空展を訪れ、モーターやプロペラのまわりをものもいわずに歩きまわったデュシャンは、突然ブランクーシにこう問いかけました。「絵画は終った。このプロペラに勝るものをいったい誰がつくれるか。どうだね、君は?」
フェルナン・レジェ、ドラ・バリエとの対話、1954 .みずえ 1977 .6
デュシャンがプロペラに見た芸術の敗北は、一目瞭然の決定的なものでした。事物の機能面を追求する科学・技術の描く曲線は、画家が美を追求して生み出す曲線をはるかに凌ぐ精度の高さを示していました。 近代絵画が画家の感覚を頼りに追求した<純粋な美>はプロペラに大きく溝をあけられ、今や科学・技術の築いた日常の時間空間にすっポリ飲みこまれてしまっていました。 この埋めようのない落差がデュシャンを愕然とさせたのです。 思えば、アングルが写真技術の禁止を求める訴訟を起こしたあたり* から、もう芸術の敗北は始まっていました。プロペラ事件を一つの契機として、デュシャンはまだ誰も試みていない現代美術への一歩を踏み出します。
*1846年、アングルらは写真術を絵画に対する不正な競合業種だとして取り締まるよう、時の政府に訴訟を起こした。

レディ・メイド

「自転車の車輪」 1913-4

「自転車の車輪」
1913-4

デュシャンの先見性は、後のアメリカ現代美術の展開をほぼ網羅する広がりをみせています。その営みの一つが、既製品を美的感覚によらずに選ぶレディ・メイドです。ここで重要な点は、彼がただ作ることの代わりに既成品を「選ぶ」のでなく、近代芸術の<純粋な美>を追求してきた画家の感覚、感性を捨て去る行為として「選ぶ」についていることです。


「瓶乾燥器 」 1913

「瓶乾燥器 」
1913

自転車の車輪を逆さにして円椅子に乗せた「自転車の車輪」1913-4 、「瓶乾燥器 」1913 や後で取り上げる「泉」1917 などがそれです。
作品を作らずに、既製品を選び取ることがあらたな芸術表現であり得る、とするデュシャンの主張の根拠はどこにあるのでしょうか?
その根拠は、まず、彼が時代の状況を<科学・技術による疎外>としてとらえたことにあります。

現代を事物の面からみると、前述のプロペラ事件にみたように、科学・技術が生み出す高精度な事物は、芸術作品の美の精度を上回るリアリティを持つようになりました。現実の事物を作り出す緻密さにおいては、もはや芸術に出番はありませんでした。また幻想の面でも、古典的な芸術の幻想が科学技術につき崩されて以来、近代芸術は<科学・技術による疎外>を全体としてとらえきれず、世界をさらなる展開に導くことはありませんでした。
芸術はみずからの領域に自足してその命脈を保とうとしますがそれはむしろ時代の認識の進展を妨げる役割を果たすことになります。このような状況認識から、デュシャンは芸術表現を科学・技術と芸術の双方からの<疎外>に対するものとして考えます。

*レディ・メイド
時代は精度の高い既製品を大量に生むようになった。
私たちの生活はすべてを手作りでまかまうことから、既製品を選ぶことにそのスタイルを変えた。
デュシャンは、芸術も手作りで時代に挑むことから既製品を選ぶことに代わってもよいはずだと考える。問題はいかに新たな考えを表現するかにかかっているのだから・・と。
デュシャンのレディ・メイドは、後のジョーンズの国旗やビール缶を題材にした表現、ポップ・アートの広告、商品、メディアに流れるイメージをそのまま転用する表現、作家が選んだ事物をそのまま並べるインスタレーションへと広がっていく。

精神の思考する自由

「私は何事も受け入れることを拒み、あらゆる事を疑った。そう、あらゆるものを疑ったので、私は以前には存在しないもの、また以前には考えたこともなかったものを見い出さねばならなかった。何かが頭に浮かぶと、私はそれをひっく り返してみて別の方向から見ようとした。」
「現代美術五人の巨匠」カルビン・ホプキンス.1972.

科学・技術が生む高精度の事物は機能と効率を求めて作られています。 しかし、何も機能と効率の脈絡からばかり事物や世界を見る必要はないのです。また、かといってかつての芸術の見方に縛られる必然もある訳ではないのです。なぜなら芸術もすでに時代のなかで、趣味の機能を果たすだけのものになっていたからです。
デュシャンは、近代画家が自己の最上位にすえてきた感覚・感性を放棄し、考える自由、即ち新たな世界の見方を概念としてつくりだす精神の自由を芸術表現の最上位にすえました。
レディ・メイドは、機能を追求する科学・技術と、美を求めるかつての芸術を、あくまで批判の対象とすることから考え出されました。

「….周知のとおり、芸術とは、語源的に言えば、作る、手で作るってことなんだからね。それなのに私は、作るかわりに既製品をもってきた。ということは、レディ・メイドは、芸術を定義することの可能性を否定する形式ということになります。たとえば、誰も電気を定義しようとはしないでしょう。われれは電気を使った 結果だけ見てるんで、電気そのものを定義しはしない。」
Marcel Duchamp Speaks B.B.C放送 1959年 訳 松岡和子みずえ1977. 6月号

デュシャンのレディ・メイドは、芸術と科学・技術に対する言わば両刃の刃です。
それは芸術の<作る>に既製品の精度を突きつけ、もう一方の高い<機能>をもつ既製品には、機能をはずした概念の脈絡をつきつけます。この行為によって、不備を指摘された両者の間に浮かび上がるのが、デュシャンの思考から生まれた新たな世界の見方として提出された芸術表現です。現代美術はデュシャンの思考する自由の実践を先達として展開されていきます。

泉 1917

「泉」1917  スティーグリッツによる写真

「泉」1917 
スティーグリッツによる写真

近代の破綻を象徴する第一次世界大戦も間近い一九一六年、スイス、チューリッヒのフーゴ・バルのもとに集まった芸術家たちによる、既成の文化芸術を否定する前衛芸術運動がダダイズムです。
その表現は刹那的でナンセンスなものが大半でしたが、破綻しつつある近代の成果すべてを否定し、問い直そうとするものでした。
デュシャンはダダイズムの否定の精神を受け継ぎ、芸術と科学・技術の双方からの<疎外>の認識を芸術表現の基盤にすえるのです。
彼のレディ・メイドは<芸術による疎外>と<科学・技術による疎外>の全容を浮き彫りにする試みの一つです。

一九一七年、ニューヨーク最初のアンデパンダン展に出品を乞われたデュシャンは、彼のレディ・メイドのひとつ、「泉」と名付けた既製品の便器を出品しようと企てます。
しかし、「泉」は当然予想されたように、展示を拒否されます。それは当時の前衛芸術の範疇からは理解をこえた芸術表現でした。
デュシャンが既製品の便器、「泉」を出品しようとする企てには、かつての芸術の二つの慣習を皮肉り、その遵守を告発する仕掛けが含まれています。
その慣習のひとつは画家が作品にするサインです。 デュシャンも同じようにこの作品にサインをしますが、ただの便器はこのサインのせいで、過激な意味を帯びます。便器にされたR・MUTT 1917のサインは、便器の製作会社Mott Works のもじりです。彼によれば、Rはリチャードのイニシャルですが、登録商標の略号でもあります。リチャードには馬鹿者という意味があるので、登録商標、阿呆のマットです。このサインによって、便器は次のような意味を帯びます。
<従来の芸術を守る画家たちは、便器のような既製品とまったく変るところのない、既成の概念を事物化したに過ぎない作品を作り、その恭しいサインは自らに阿呆のリチャード印をつけるに等しい>

「泉」1856 Dominique Ingres

「泉」1856 Dominique Ingres

もう一つは、作家が作品に題名をつける行為です。 デュシャンがつけた題名は、便器にはいかにも不似合いな「泉」(fountain)という詩的なものです。
その題名から新古典主義のアングルの「泉」が直ちに思い浮かびます。古典や近代の表現では、作家が先人の題材を借り新たな表現の展開を図ることは珍しいことではありません。 しかし、ここでは事情が大分違っています。「泉」という題名は、便器から「泉」(噴水)のように液体が噴出する、かなり悲惨で喜劇的な、混乱した事態を想像させ、題名の持つ詩情は台無しです。
便器とこの題名の組み合わせは、同じ題名のアングルの作品をはじめとする、恭しく題名を頂くすべての芸術作品を茶化し、言わば足蹴にしています。

この命名は、既成の芸術の徹底的なからかいです。そこにはデュシャンの辛辣な悪意がたっぷりとこめられています。

「泉」1917

「泉」1917

*レディ・メイドの一つ「泉」と名づけられた便器。
彼は1917年 ニューヨーク初のアンデパンダン展に出品を試み、芸術を侮辱する行為だとして物議をかもした。
ただし、この写真はミラノのArturo Schwarz 画廊の要請で作られた1964版のレプリカである。
デュシャンによれば、レプリカでもオリジナルと同じメッセージを伝えるのがレディ・メイドの特徴である。
つまり レディ・メイドに<本物>は存在しない。

リチャード・マット事件

デュシャンは、「泉」の出展が拒否されたことを「リチャード・マット事件」と名付け、ただちに次のような抗議文を発表します。

「六弗を支払えば作家は誰れでも出品することができることになっている。リチャード・マット氏は泉という作品を搬入した。 ところがなんら討議されることもなく、作品は姿を消し、ついに展示されなかったのである。
マット氏の泉が拒絶された根拠は
1それが非道徳で俗悪なものだと一部の委員が主張したこと。
2またそれは剽窃であり、ただの鉛管工事の部品にすぎないという他の主張。
ところでマット氏の泉が非道徳だというのは、浴槽が非道徳的であるというのと 同 じくばかげている。それは諸君が鉛管屋のショーウィンドーで毎日見かける部品である。マット氏が自分の手でこの泉を作ったかどうかということは重要なことではない。彼はそれを選んだのである。彼はありふれた生活用品をとりあげ、新しい標 題と観点のもとに、その実用の意味が消えてしまうようにそれを置いたのだ。つまり、その物質のために新しい思想を創り出したのだ。
鉛管工事云々についてもばかげている。アメリカの生んだ唯一の芸術作品はその鉛管工事と橋なのである。」
「ザ・ブラインドマン」第2号に掲載された「リチャード・マット事件」の無署名の抗議文 ,
1917 「デュシャン語録」瀧口修造

「泉」の出展が拒否されたのは、デュシャンの予想した通りの結果でした。作品の出展が拒否された以前の経験* から、彼は出展拒否さえも表現の一部にすることを企てました。
デュシャンは、この抗議文を発表することに主眼をおいて出展拒否に至る騒ぎを引き起こしたのです。抗議文はレディ・メイドの解説であり、また近代芸術・美学への批判であり、さらに彼の芸術表現の宣言ともなっています。出展を拒否された便器の方は、アルフレッド・スティーグリッツに写真を撮られた後、早々に行方不明になったそうです。おそらく、出展の拒否が決まり、すべての手はずが整った時点で、便器自体はご用済みとなり、デュシャン自身によって始末されたのでしょう。
*1912年パリ アンデパンダン展で「階段を降りる裸体No.2」をの出品をグループから拒否された。彼はその時以来孤立を貫きとおすことをこころに決めた。

幻のインスタレーション

「泉」はついに展示されることのなかった幻のインスタレーションです。デュシャンは現代美術が登場する三〇年ほど前に、最初のインスタレーションとして「泉」をしかけたのです。日の目をみなかった一個の便器は、デュシャンが表現の重点を、事物を作ることから「新しい思想」を作ることに移したしたことによって、現代芸術の展開を予告する記念碑的存在となりました。

「・・・危険なことは、いつもきわめて直接的な大衆の気に入ろうとすることです。 このような大衆はわたしたちをとりまき、受けいれ、しまいには献身的にもなり、わたしたちに成功をあたえてくれ・・・また、ほかのものもあたえてくれます。これと反対に、わたしたちの真の大衆と接するには、たぶん、五〇年から百年、待たねばならないでしょう。でも、わたしに興味があるのはこのような大衆だけなのです。」
創造の秘密,ジェームズ・ジョンソン・スィーニーとの対話,「表象の美学 マルセル・デュシャン」 M・サヌイエ 浜田明 訳 1977 牧神社
新たな芸術表現が「真の大衆」に理解されるには、「五十年から百年待たねばならない」と考えるデュシャンは、そのためにメディアを使います。「事件」の抗議文は印刷物として他の書物にも転載され現在も残されています。「泉」の実物は早々に姿を消し、大抵の場合、今私たちが見る「泉」はメディアに掲載された写真です。
「<レディ・メイド>の別の側面は、それが独創的な何ものも持たないことである。 ・・・ある<レディ・メイド>のレプリカは同じメッセージを伝える。」 *と彼が言うように、レディ・メイドの事物の方は必要とあればいくらでも差し替えが効きます。しかし、八〇年ほど前にデュシャンが仕掛けておいた「泉」の「新しい思想」は、本当はレプリカも必要としないのです。「泉」はメディアに残された情報だけで十分にその存在を主張し、芸術表現として機能します。
*「芸術と芸術家」マルセル・デュシャン全著作集 ミッシェル・サヌイエ編 北山研二訳 1996 未知谷*インスタレーション
パフォーマンスと並ぶ概念芸術の手法のひとつとして1970年代から顕著になった表現の呼称。
作家が表現を示す場を強く意識し、選んだ事物を置くことにより全く違った空間を現出させる表現。この場合、事物が置かれた空間全体が表現とされる。
ダニエルビュランのストライプの布のように展示が終われば片づけられることが多い。展覧会も広い意味ではインスタレーションということになる。

「泉」は、実体を必要としないメディアの上のインスタレーションです。かつての芸術は、教会に納められられ、その後は美術館に保存されるようになりました。ところが、現代では、メディア上の記号の集合体としてもある<記号のシステム>が最も有効な設置場所となったのです。 デュシャンの芸術表現、レディ・メイドは、現代のメディアと表現の関係を「五十年・・・」ほど先取りしています。

観る者のなかで起こる創造行為

現代美術を予見したデュシャンは、芸術表現にふれる鑑賞者の立場を重視し、創造行為は鑑賞者のなかで完結するのだと強調しました。 鑑賞者の側にこそ、かつての芸術にも科学・技術の見方にも縛られない、個人のものの見方の世界が広がらねば、せっかくの「新たな思想」も意味をなしません。

「芸術作品についての最後の判断を下すのは見る者なのだ」「・・芸術作品は作る者と見る者という二本の電極からなっていて、ちょうど この両極間の作用によって火花が起こるように、何ものかを生み出すのだ」
「デュシャン語録」滝口修造

彼は作家の考え出した概念が表現行為、表現された事物を介して鑑賞者の側に引き起こすあらたな概念化の営みこそ<芸術作品>だと主張しています。上の考え方は、そのままその後の現代美術の展開を指し示しています。 概念の構築の重視は概念芸術として、作家と鑑賞者の間をつなぐ表現行為の重視はハプニングやパフォーマンスに受け継がれていきます。

既成の芸術の見方もレディ・メイド

鑑賞者のうちに起こる概念作用が芸術表現を完結させるとするデュシャンの主張に従えば、「泉」という作品は、便器を見ることを通して、鑑賞者のうちの既成の美意識(既成の美意識もレディ・メイドです。)を否応なく意識させ、鑑賞者自身が新たな世界のとらえ方を生み出した時点で出来あがることになります。 彼は、自らの既成の美意識に便器を突きつけられて憤慨する人々の見方を、それも作品のひとつの完成として笑いつづけていることでしょう。 まさに憤慨の吹き出す「泉」というわけです。「泉」は既成の美意識に対する異和として置かれています。デュシャンが「本当の公衆」に期待したのは、その異和をたどること、既成の見方を離れ自らの心のうちの感情や概念化の動きをたどりなおすことです。 彼は鑑賞者のうちに誘発されるその行為こそが新たな芸術表現の姿だと主張したのです。

芸術は美の表現だとする美学的公式

「泉」は、デュシャンが私たちの美意識にしかけた罠です。かつての美学と美意識こそ「既製品」ではないかという、皮肉で真剣な主張がその根底にあります。 彼は「既製品」になってしまった美学と美意識に既製の便器を対置させたのです。 既成の芸術の側に立てば、作品としておかれた「既製品」の便器は芸術の冒涜と映り憤慨するしかありません。
しかし、人々のなかには、憤慨するのは早い、よく見れば便器にも美が発見できるではないか、と言う識者たちがいます。 彼らは、現代美術は美を生むための新種の工夫であって、その美を理解するには、多少の読解力を要するのだと考えるのです。

「芸術は芸術家以上に、鑑賞者にとって、芸術とは習慣性の麻薬であるということだ。」 とデュシャンが嘆くように、彼らは現代美術を是が非でもかつての芸術の脈絡から理解しようとします。*
これらの識者たちに、デュシャンの罠は最も強力に作用します。彼らは、芸術は芸術作品に宿る<固有の美>の表現だとする美学的公式を固持して「泉」に向かいます。そして彼らは便器に<固有の美>を見つけ出しそれを賛美するという滑稽な行為に陥るのです。
「芸術と芸術家」マルセル・デュシャン全著作集 ミッシェル・サヌイエ編 北山研二訳 1996, 未知谷

ダントー氏*も「泉」の罠に落ちたひとりです。彼はタジ・マハールの白壁のなめらかさを引き合いに出して、便器に芸術の<固有の美>を発見します。
*Arthur C. Danto アメリカの美学哲学者。「The Philosophical Disenfranchisement of Art」1986, COLUMBIA UNIVERSITY PRESS/N.Y.

「…私がどうしてもはっきりさせておきたい点があるが、それはこれら<レディ・メイド>の選択が何かしらの美的楽しみには決して左右されなかったということだ。この選択は視覚的無関心と言う反応に、それと同時に良い趣味にせよ悪い趣味にせよ、趣味の完全な欠如・・・実際は完全な無感覚状態での反応に基づいていた。」
「芸術と芸術家」マルセル・デュシャン全著作集 ミッシェル・サヌイエ編 北山研二訳 1996, 未知谷
上のデュシャンのコメントにもかかわらず、ダントー氏はレディ・メイドを許容するため芸術の<固有の美>を限りなく拡大します。しかし、便器の<美>は、同種の既製品のどれもが持つ<均一な美>であり、ダントー氏が求める、芸術に<固有の美>から遠くその対極に位置するものです。彼が既製品の<均一な美>を賛美すれば、かつての芸術の<固有の美>の根拠を失うという自己矛盾に陥るのです。

デュシャンの「泉」はこのようにかつての芸術の<美>に固執する見方を破綻に導く罠なのです。
ダントー氏の理解を敷衍しようとする識者は「 「泉」がアートの作品であることを学ぶことは、それがたんなる便器とは異なった美的特質をそなえていることを知覚し鑑賞することである」* と、彼らの発見した<固有の美>を鑑賞することを私たちに勧めています。
*「現代アートの哲学」西村清和、1995産業図書

ダントー氏らの見解に反して、便器は日常の事物になったり芸術表現の作品になったりすることはなく、当然のことに、便器は便器のままなのです。「泉」として選ばれた便器が他の便器と異なる「美的特質」を持つことなどありません。
デュシャンが既製品を選ぶのは、彼が航空機のプロペラに見たように、工業生産物が持つ、均一な精密さが、かつての芸術の「美的特質」を圧倒していることに気づいたからです。二〇世紀の科学技術が大量に生産する事物は、どの一つを取り出しても同様の、均質な精度によるリアリティをもっています。その均質な精度のもつリアリティは、芸術が生むこの世にただ一つの芸術作品の<美>のリアリティをはるかにしのいでいました。
彼は、芸術と科学・技術の双方に向かい合い、さらなる認識を提示するために既製品を選びます。デュシャンの芸術表現、「泉」が鑑賞者のうちで完成をむかえる姿の一つとして、<美>を掲げる識者たちの頭上に向かって、悪意の液体を注ぎ続ける様を思い描くことができます。

再び美学

「ネオ・ダダ、これはニューリアリズム、ポップ・アート、アセンブリッジなどと呼ばれているが、まったく安易に、ダダのおこなったことを糧としている。私がレディ・メイドを発見したときは、美学を失望させるつもりだった。ネオ・ダダは、私のレディ・メイドをとりあげ、そこに美学上の発見をした。私は瓶かけと便器を、挑戦のためにひとびとの面前に投げつけたのに、ネオ・ダダはそれらを美学上美しいと賞賛する。」「現代美術五人の巨匠」 カルビン・ホプキンス,1972

デュシャンの「新たな思想」はかつての芸術に対する反美学の精神の実践です。瓶かけ、便器などのレディ・メイドは、彼の概念的な実践を現実に止めるための最低限の要素としてあり、芸術の<固有の美>からは最も遠いものです。
ネオ・ダダの作家たちとは、R・ラウシェンバーグとJ・ジョーンズをさしています。「私は限度はあるがあらゆる手だてを尽くして現在をあがめようとしている」と言うラウシェンバーグの「現在をあがめる」方法は、日常の事物を絵画空間に取り込むことでした。 それは日常の事物のリアリティをあえて抽象表現主義的な<固有の美>に埋め戻す作業でした。その「限度」は、日常の事物と絵画を接合する方法の直接性にありました。

ジャスパー・ジョーンズ

ジャスパー・ジョーンズ

ラウシェンバーグ

ラウシェンバーグ

ジョーンズは、既成の記号の意味の均質さに挑戦し、記号のデザインを<固有の美>を生み出す絵画の方法で埋めつくす作業を芸術としました。アメリカ国旗を作品のモチーフにした彼は、その制作を、「いかに旗を自己表現から遠ざけるかという作業の過程である」と語ります。しかし、国旗はもともと自己表現から最も遠い記号性を負わされた事物です。彼の制作の成否は、その記号性をいかに自己表現の手つきで扱い切るかにかかっていました。
彼らの特徴は、芸術とは位相を異にする日常の事物や記号を、芸術の<固有の美>を扱う手つきで扱い、そこに生じる落差のうちに新たなリアリティを生み出すことでした。デュシャンが直截に批判したように、彼らの誤謬は本来芸術の<固有の美>の対極にある事物や事物の記号性に、<美>を見い出そうとする行為に他ならなかったのです。
「絵画がひとつのオブジェならば、オブジェもひとつの絵画でありうるということだ」* とはジョーンズの言葉です。ここにあるのは、事物の視点か絵画の視点か二者択一の見方です。
一方「僕は芸術と現実の間で仕事をする」と言うラウシェンバーグは、芸術と現実の二者を直接重ねています。 いずれも、デュシャンに見られる、芸術と科学・技術の生む現実、双方の否定が重ねられ、そこから新たな概念が浮かび上がる芸術表現の構造は失われていました。
*「ジャスパー・ジョーンズ」画集より、二〇世紀の旗手の旅 辻井喬 講談社 1993
デュシャンは、現代美術の展開は依然として自分の仕掛けた罠のうちにあり、「本当の大衆や表現者を求めるには五〇年いや百年待たねばならない・・・」と主張しているのかも知れません。